魂魄之塔・ひめゆりの塔・健児之塔を建立された真和志村長です。
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- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
沖縄戦が終結し捕虜収容所に集められた住民は、食糧増産を図るため、米須原へと移されました。その際真和志村長をされていたのが金城和信先生です。
戦前より国民学校の校長を務めるなどの教育者でしたが、米須原の遺骨が野ざらしになっている窮状を見て、住民達とともに米軍に遺骨収集を依頼します。しかしそのことが皇民化主義に繋がると考えられ許可はされませんでしたが、農地を開墾するにあたり、限りなく出てくる多くの遺骨が妨げになると判断し、やっと許可が下ります。住民達とともに遺骨収集を行い、集めた数は35,000注にも登りました。物資がない中で米軍払い下げのセメントなどを用いて、昭和21(1946)年2月に魂魄之塔が完成します。
また金城ご夫妻は愛娘ふたりをひめゆり学徒看護隊として失っており、その足跡を探す過程で伊原の第三外科壕を発見し、昭和21(1946)4月に初代の?ひめゆり之塔?を建立します。また同時期に行われた沖縄師範学校男子部の?鉄血勤皇隊?終焉の壕に於ける遺骨収集に於いて、初代の?健児之塔?を建立されました。
晩年は遺骨収集に尽くされた金城和信先生の功績は計り知れないものがあり、そのことを後世に伝えるべく魂魄之塔横に胸像が建立されました。
戦後の混乱期、自分達が生きていくのに精一杯だった時代に敵味方軍民問わず遺骨収集をされた金城和信先生の精神は、今なお生き続けています。胸像と対面し、興味本位で知識をつけてきた自分が恥ずかしく思えて仕方がありませんでした。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- ひめゆりの塔から車で5分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 魂魄之塔には数人の参拝者がおられました。
- バリアフリー:
- 5.0
- 敷石は敷かれていました。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 金城和信先生の功績を知っていたら感無量でした。
クチコミ投稿日:2016/07/15
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