フジミ模型では、戦艦「大和」の艦橋部分のみを1/200スケールの大型サイズで再現したプラスチックモデル組み立てキットを大好評展開中! その新アイテムとして、インナープリントボックス版の特別仕様キットが新登場です! 製品は戦艦大和の上部構造(艦橋・煙突・後部艦橋・副砲・増設高角砲)を集めた仕様で、昭和20年最終形態の姿をモチーフにしています。
Attribution: Bundesarchiv, Bild 193-04-1-26 / CC-BY-SA 3.0 鳴物入りの処女航海であっけなく沈没した船たち 処女航海で沈んだ船といえばタイタニック号が有名です。 超豪華で当時の最新の造船技術を取り入れたタイタニック号は、流氷に衝突して船底から浸水し、海水の流入に耐えきれず2時間40分後に沈没します。 事故が起きた理由はいくつかありますが、その一つが氷河の情報を事前に得ていたにも関わらず、時間を優先し危険な航路を進んだことにあります。どんなに最新技術を注ぎ込んでも、運用する側に問題があるとどうしようもないという事例です。 この記事に登場する「処女航海で沈んだ船」たちもおおむね似たようなものかもしれません。 1. イギリス商船「テイラー号」 船体設計自体に問題があった最新客船 テイラー号は1854年1月、ホワイト・スター・ライン社のために
大戦中の軍艦といえば多連装砲やハリネズミのように空へ向けられた対空砲など、その喫水線上はなにかとゴテゴテした印象ですが、現在のものはこれらに比べずいぶんとスッキリした印象です。その変遷を見ていきます。 甲板上にところせましと配置された砲がなくなった理由 2022年現在の軍艦と第2次世界大戦頃の軍艦を比べると、現在の方が甲板上はスッキリしている印象を受けます。飛行甲板を持つ空母も、舷側などを見るとそのように感じるでしょう。昔はついていた砲身が複数ある多連装砲や対空機銃座が少なくなっているからです。なぜ、現在は甲板に砲塔などが少ないのでしょうか。その答えは武器の発展にあります。 1943年に就役したアメリカ海軍 戦艦「アイオワ」の主砲は16インチ3連装砲。1984年7月撮影(画像:アメリカ海軍)。 19世紀後半、半後装式の砲が主流になっていくと、軍艦が搭載する火砲の威力も上がっていきます。これ
旧日本海軍の戦艦「大和」は、前のタイプである戦艦「陸奥」から約20年ぶりに就役した戦艦です。建造がそれだけ開いていたため、兵装だけでなくさまざまな点で一新され、医療面でも従来の軍艦とは段違いの充実ぶりでした。 戦艦「大和」の医務室は病院並み 日本海軍最大の戦艦「大和」。乗員数は約2300人から2500人であり、その前の戦艦「長門」が約1400人であったのと比べると、1000人以上増えています。ここまで乗員が多いと、集団感染や食中毒などの対策が必須となります。また戦闘時は多くの負傷兵が運び込まれることを想定しなければならず、乗員の健康を守り、戦闘時は大量の負傷者救護に対処できるよう、軍艦としては充実した医療機能を「大和」は持っていました。 旧日本海軍最大の軍艦である戦艦「大和」。同型艦の「武蔵」とともに優れた医療設備を艦内に備えていた(画像:アメリカ海軍)。 「大和」に乗り込んだ軍医や衛生兵
太平洋戦争中に撃沈された旧日本海軍の重巡洋艦「摩耶」の船体がフィリピン沖の海底で発見されました。アメリカの調査チームの無人探査機が撮影した映像には、船体が鮮明に写っています。 「摩耶」は、太平洋戦争末期の1944年10月、フィリピンへと迫るアメリカ軍を迎え撃つためレイテ島に向かいましたが、アメリカ海軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、乗員336人が死亡しました。 アメリカの調査チームの無人探査機が撮影した映像では、艦橋の構造物や主砲などの形が確認できるほか、機器に刻まれた文字もはっきりと写っています。 今回「摩耶」を発見したのは、大手IT企業マイクロソフトの共同創業者が立ち上げた調査チームで、4年前の2015年にフィリピン沖の海底で戦艦「武蔵」を見つけたことでも知られています。 旧日本海軍の歴史に詳しい広島県呉市にある大和ミュージアムの戸高一成館長は「連合艦隊の壊滅を決定づけた一連の戦いで
「艦橋」は、いわば艦艇の顔ともいえるものですが、なかでもトガった個性を見せていたのが、旧海軍の戦艦「扶桑」でしょう。艦砲など、その艦上構造物の配置も独特です。なぜそこまで個性的な戦艦に仕上がったのでしょうか。 時代は「超ド級」、旧海軍は試行錯誤中 戦艦「扶桑」は、一度見たら忘れられない印象的な外見をしています。まず、そびえ立つ艦橋は増床を繰り返した違法建築ビルのよう。6基もある35.6cm連装主砲塔の配置も独特です。3番、4番砲塔は艦橋、煙突、後部艦橋にはさまれた位置に配置されています。かなり無理なレイアウトに見えますが、「超ド級」戦艦を造ろうとした旧日本海軍の、苦心の作なのです。 1934年の改装後に撮影された戦艦「扶桑」。その艦橋の造形が特徴的(画像:アメリカ海軍)。 「戦艦」の革新的存在となったのがイギリスのドレッドノート級戦艦ですが、世界はすぐにこれを超えた戦艦を研究します。よく使
太平洋戦争中に南太平洋のソロモン諸島沖で沈んだ旧日本海軍の戦艦「比叡」をアメリカの調査チームが水深およそ1000メートルの海底で発見し、NHKがその映像を入手しました。船体が切断された状態になっていて大きな爆発によって沈没した可能性が高いことが今回、初めてわかりました。 アレン氏は去年10月に病気で亡くなりましたが、調査チームはアレン氏の遺志を継いで特殊な装備を備えた調査船を使って太平洋戦争で沈没した軍艦を探し続けていました。 調査チームによりますと、先月31日、ソロモン諸島のサボ島の北西の深さ985mの海底で、戦艦「比叡」を発見しました。 ソナーが捉えた形状からは、船腹を上にした状態で海底に沈んでいるのがわかります。 また、潜水艇から撮影した映像には、巨大なスクリュープロペラやかじ、高角砲の砲身などが映っています。 「比叡」は大正3年にしゅんこうし、たび重なる改装を経て、太平洋戦争の緒戦
米マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏(2011年12月13日撮影)。(c)STAN HONDA / AFP 【10月16日 AFP】(更新、写真追加)米マイクロソフト(Microsoft)の共同創業者ポール・アレン(Paul Allen)氏が15日、がんの合併症で死去した。65歳。家族が明らかにした。 アレン氏は1970年代にビル・ゲイツ(Bill Gates)氏とともにマイクロソフトを創業。退社後は投資家や慈善家などとして活動してきた。2週間前、9年前に寛解した難治性の病気、非ホジキンリンパ腫の再発を公表したばかりだった。 アレン氏の妹、ジョディー・アレン(Jody Allen)氏は声明で「兄はあらゆる面で優れた人でした。ポール・アレンのことをテクノロジーの専門家、慈善家として知っている人が多いでしょうが、私たちにとっては最愛の兄、おじ、そして特別な友人でした」と述べた。また、「
フィリピン沖の海底で、太平洋戦争中にアメリカ軍に撃沈された旧日本海軍の戦艦「山城」や「扶桑」などと見られる5隻の艦船が見つかったとアメリカの調査チームが発表しました。 それによりますと、発見されたのは、船体の形状などから昭和19年10月のレイテ沖の海戦でアメリカ軍に撃沈された戦艦「山城」や「扶桑」のほか駆逐艦の「満潮」と「朝雲」、それに「山雲」と見られるということです。 この調査チームは、おととし、フィリピン沖のシブヤン海の海底で戦艦「武蔵」を発見し、世界的に注目されました。 今回の海底調査は先月下旬から今月はじめにかけて行われたということで、チームのフェイスブックのページには、無人探査機で撮影した海底に沈む船体の写真などが順次公開されるということです。 今後、専門家などによる分析や検証が進むことが期待されます。 旧日本海軍の戦艦「山城」と「扶桑」は、同型艦で、全長およそ200メートル、幅
太平洋戦争中フィリピン沖で撃沈された旧日本海軍の戦艦「武蔵」の建造に使われた200枚に上る設計図が今も残されていることがわかり、初めてNHKに公開されました。専門家は「歴史の一部を確定する上で貴重な資料だ」と話しています。 その武蔵の建造に使われた設計図の一部、およそ200枚が武蔵を建造した三菱重工業長崎造船所に残されていることがわかり、NHKに初めて公開されました。設計図はエンジンや機関室のボイラーなどパーツごとに分かれていて、途中で改良のため加筆されたと見られる部分が、赤いインクで書き込まれています。また武蔵が完成した直後の昭和17年に資料として保管されたことを示す印も押されています。 中には「軍艦武蔵」という文字が墨で消された跡が残っている図面もあり、極秘プロジェクトとして建造が進められた武蔵に関する情報の取り扱いが厳重に管理されていたことがうかがえます。 広島県にある「大和ミュージ
【動画】広島県呉市が5月に実施した潜水調査で撮影された戦艦「大和」。菊の紋章やスクリューが映っている(呉市提供) 太平洋戦争末期、乗組員約3千人とともに東シナ海に沈んだ戦艦「大和(やまと)」の潜水調査に、広島県呉市が行政機関として初めて成功した。22日、そのデジタル映像や写真を報道機関に公開。艦首にある菊の紋章も鮮明に浮かび上がった。 呉市は先月、鹿児島県枕崎市沖約200キロの海域で調査。71年前、米軍の攻撃を受けて沈み、海底約350メートルに横たわる大和の船体を無人の潜水探査機で10日間撮影した。公開されたのは、波の抵抗を減らす球状艦首(バルバスバウ)や3枚翼で直径5メートルのスクリューなどが映る約3分半の映像だ。 1985年と99年の民間調査はアナログ映像で撮影。デジタルの今回は、より鮮明にとらえた。呉市は映像の解析を進めて大和の構造や沈没時の状況を詳しく調べ、呉市海事歴史科学館(大和
憧れの海軍に 竣工前の公試運転中の戦艦「大和」[米海軍歴史センター提供]【時事通信社】 旧日本海軍が建造した世界最大の戦艦「大和」。太平洋戦争末期の昭和20(1945)年4月7日、沖縄海上特攻の途中、米艦載機の猛攻撃を受け、鹿児島県坊ノ岬沖で沈没した。乗組員3332人のうち、生還者は276人。 敵機との距離を測る測的手だった八杉康夫さん(87)=広島県福山市=は、沈没寸前の大和から海中に飛び込んだ。溺れかけたとき、上官に「頑張って生きろ」と丸太を渡され、生き残ることができた。 ◇ ◇ ◇ 昭和2(1927)年秋、広島県福山市の豆腐屋で生まれました。小学校でピアノに出会い、中学校に入った時にアコーディオンを買ってもらいました。当時はとても高価な楽器でしたから、夢中になって練習しました。学校の勉強はできる方でした。 太平洋戦争が始まったのは中学生のときです。陸軍は荒っぽいが、海軍は
『ファンタシースター』シリーズプロデューサーの酒井です。 2月20日(土)に開催された「ファンタシースター感謝祭2016・大阪」におきまして発表した新レイドボス「幻創戦艦・大和」と新オープニングムービーですが、会場において、大きな拍手と歓声をいただきました。 その後、ネット上で「幻創戦艦・大和」に関しての多くのご意見を頂戴していることを確認しました。 下記に長文ではありますが、「幻創戦艦・大和」を登場させるに至った経緯のご説明と、それに関して頂いたご意見への対応を記させていただきます。 『PSO2』に登場する「幻創戦艦・大和」は、幻から創り出されて自らの意志で動く架空の存在となりますので、史実上の「戦艦大和」を破壊する内容ではありません。戦艦大和本体に何かがとりついたものでもありませんし、乗組員も存在しません。 大阪で公開したムービーにおいては、「幻創戦艦・大和」登場のインパクトを出すため
フィリピン沖の海底に沈む、旧日本軍の戦艦「武蔵」を引き揚げようという計画がある。武蔵を発見した、米マイクロソフトの共同創業者で、世界的大富豪のポール・アレン氏が表明しているものだが、複雑な思いを感じている遺族は少なくない。艦と運命をともにした最後の艦長、猪口敏平(いのぐち・としひら)海軍中将の遺族が、夕刊フジに思いを語った。 「海軍軍人の遺族にとって海は墓場であり、武蔵はいわば墓なんです。それを引き揚げることは、静かに眠る英霊たちの尊厳を冒涜(ぼうとく)することになる。到底容認できません」 猪口艦長の四男、勇さん(75)はこう語る。 旧日本海軍が建造した最後の戦艦である武蔵。全長263メートル、全幅39・6メートル、46センチ主砲を9門備えていた。世界最大の「不沈戦艦」と呼ばれたが、1944年10月24日、フィリピン中部レイテ沖での海戦に向かう途中、米軍機の波状攻撃を受け、猪口艦長以下13
自民党の若手国会議員有志が26日、太平洋戦争で米軍に撃沈された旧日本海軍の戦艦「大和」の引き揚げを検討する議員連盟を発足し、国会内で初会合を開いた。大和が沈む鹿児島県南西沖の海底調査などを政府に求める提言を6月にもまとめる方針だ。 初会合後、呼び掛け人の中川俊直衆院議員は「戦後70年の節目の年。不戦の誓いのためにも引き揚げには意義がある」と記者団に語った。議連は「海底の戦艦『大和』『武蔵』調査研究会」。フィリピン中部シブヤン海で沈没した姉妹艦の武蔵の研究も進める。 初会合には、大和建造の地である広島県呉市の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)の戸高一成館長が招かれた。戸高氏は「平和の大切さを伝える大和の歴史を学ぶことは大事だ」と強調した。(共同)
「武蔵」を発見した-。今年3月、米マイクロソフト創業者のポール・アレン氏がフィリピン中部のシブヤン海で旧日本軍の戦艦武蔵を発見したとするニュースは、日本はもとより世界を驚かせた。アレン氏はツイッターで船体の写真を公開し、インターネットで映像も中継した。終戦から70年目の発見は、旧帝国海軍の敗北を決定づけたレイテ沖海戦の歴史を甦らせるとともに、巨大戦艦が誕生した時代背景にも焦点を当てそうだ。当時の日本の最先端技術を集めた大和型戦艦「武蔵」。そのハイテクパワーと戦前日本の造艦技術に迫った。 全ては46センチ砲のため戦争とは、必要な時に、必要な場所へ、必要なだけの戦力(火力)を投入できた者が勝つ-。武蔵も大和も、決戦時に巨大な46センチ(約18インチ)砲弾を敵艦にたたき込むために誕生した。その46センチという数字には大きな意味がある。 大和型の構想が生まれたのは昭和9年とされる。当時はロンドン海
日本海海戦から110年を迎えるのを前に昨年度、連合艦隊の旗艦だった記念艦「三笠」の年間来艦者が44年ぶりに20万人を超えた。一時は10万人を切るまでに来艦者数は低迷していたが、テレビドラマ「坂の上の雲」の舞台・ロケ地となって上昇気流に乗った。そしてゲーム・アニメ「艦隊これくしょん(艦これ)」の人気で、ついに大台超えを達成。今も休日を中心に多くの提督(艦これプレーヤー)が三笠を訪れ、横須賀の街は活気づいている。(溝上健良) 艦隊コレクション1年延長「赤城さん、いた!」「白雪ちゃんだ~」。4月中旬の土曜日、記念艦三笠の艦内には若い女性の歓声が響いていた。 来艦者の人気を集めていたのは、昨年7月から実施中の「艦隊コレクション」。記念艦の艦内に、日露戦争時の連合艦隊とロシア艦隊、先の大戦時の連合艦隊、現在の自衛艦隊の計約260隻の精巧な模型を展示している。ゲーム「艦これ」では先の大戦時の軍艦が擬人
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く