昨年の終わりに宣伝メールをみて、「ちょうど空いている日だし、吉高由里子さん主演だし、気分転換に観てみるか」くらいの気持ちで購入。
僕自身は、最近の舞台演劇には、自分自身の感性の枯渇もあって、「けっこう高いお金払ったけど、なんかしっくりこないな。でも、ギャンブルで使っちゃうよりは有益なお金の使い方だよなこれは」みたいな気分になりながら劇場を後にすることが多かったのです。
「昔からの演劇人による、豪華キャストの演劇らしい演劇」に馴れてしまったところもあって。
この日も、昼過ぎまで仕事をしたあと、もう行かなくてもいいかな、と思いつつ、払ったお金を思い出して重い腰をあげて博多まで、という感じだったのです。
まあでも、「まあちょっと観てみるか」くらいの気持ちのときのほうが、けっこう良いものを観られることがある、というのもよくあることで。
金田海(吉高由里子)は、社会人として働く傍ら、他人のお別れの会に紛れ込み、ビュッフェを食べて帰るという行為を繰り返していた。
ある日、入り込んだ会場で金田は偶然見覚えのある顔たちに出会う。
それはかつて自分がキャプテンを務めていた大学時代の女子フットサル部の仲間たち。親友の山形圭子(さとうほなみ)の姿。敵視していた顧問の川越瑞希(山口紗弥加)の姿まであった。
遺影には同じピッチに立っていた後輩、白澤喜美(桜井日奈子)の姿。
『私は何故呼ばれていないのか』
現在と輝いていた大学時代が交錯していく。
その輝きは本当の輝きだったのか──。
結論から言うと、『シャイニングな女たち』すごく良かったです。
最近観た舞台のなかで、いちばん僕には刺さりました。
この「ストーリー」を読んでも、「いくらなんでも、そんな『他人のお別れ会に紛れ込んで飲み食いする』なんてめんどくさいことするやついないだろ、食べ物に困っているホームレスの人が紛れ込む、とかいうのならともかく」としか思えないし、舞台を観終えたあとでも、正直なところ、「なんか強引な舞台設定だよな」とは思います。
僕などは、いくら高級でおいしい料理でも、気を遣って過ごしたり、話し相手が見つからない状況で緊張したりしながら食べるよりは、『ひとりで牛丼』のほうがずっといい」人間なので、なおさらです。
この舞台を全体的にみると、非正規とか災害とか、「社会問題」や「生きづらさの社会的な要因」みたいなものが取ってつけられたように加えられているように感じるのは個人的には「しっくりこない」のです。
でも、作品全体、とくに主人公たちが大学時代にフットサル部で過ごした「どこにでもあって、時間が経てば美化されてしまいがちだけれど、リアルタイムでは沈鬱でやけっぱちな盛り上がりの時間と、そこでの人間関係」は、僕の学生時代のコールドスリープさせておきたかった記憶を呼び覚ましました。
学生時代、いつも一緒だった4人のグループで、「仲がいい」はずなんだけれど、そのなかでも、アイツと2人きりになってしまうと、なんだか微妙に気まずい、とか、相手は「親友」のつもりみたいだけれど、こちら側からみれば、「言う通りにしないと機嫌が悪くなるし、こっちも孤立するのは怖いから従っている」という関係とか。
吉高由里子さんが演じている金田海という人は、「自分の思いつきに、みんなを巻き込んでいく力があるちょっとしたカリスマ」なのだけれど、それと同時に「不機嫌で他人を支配する人」でもある。それも無意識のうちに。
僕は以前読んだこの文章を思い出さずにはいられなかったのです。
こういう人って、「周りは口出しや反論をして自分の機嫌を悪くしないように気を遣っている」とは想像もしていないことが多いんですよね。むしろ「周りは受動的で自分の意見を出さないから、なんでも自分が決めさせられていて、損ばかりしている」と思っている。そして、何か問題が起こったら、「だって、機会はあったはずなのにあなたは何も言わなかったし、了解したんだから、それはあなたの自己責任でしょ」と結論づける。
でもほんと、「悪人」じゃないんだよね。なんのかんの言って、「決められない人間」である僕のようなタイプは、そういう人に責任を押し付けて、自分が悪者になるのを避けようとしてしまう。
彼女たちがつくったフットサル部は、サッカー女子日本代表のワールドカップ制覇がきっかけで創部されたのだけれど、そこでは、自己主張と他責と問題の先送りが入り乱れてしまう。
派閥ができたり、「やらない人」が責められたり、「練習をしてみせるためのハードな練習」が続けられる。
みんな、お互いのことを嫌いじゃないはずなのに、わだかまりがどんどん積もっていって、ちょっとした愚痴やSNSへの投稿が、人間関係をさらに軋ませていく。
「そんなの、SNSに書くんじゃなくて、私に直接言ってくれればいいのに」
言えれば苦労しないんだよね。僕もネットでそういうことが何度もあって、今はそれがよくわかる。
でも、こちら側は「直接言ったら傷つくかも」と無人の洞穴に叫んでみたら、その声は何十倍、何百倍にも増幅されて、当事者に届いてしまうこともある。
そして相手は、悪口の内容そのものよりも、「直接自分に言わず、世界に告げ口したこと」に、さらに傷つき、怒る。
結局のところ、人というのは「自分で思い込んでいる自分の姿」と「他者からみた姿」のギャップにずっと気づかないまま生きていて、しばしば「自分にとっての善意」で他者を追い詰め、憎まれてしまう。
「悪意」があれば反発も抵抗もしやすいのだけれど、やっている側にも自覚がない「不機嫌による支配」は、されている側にも「これってやっぱり自分が悪いのでは……」という迷いも生じてしまう。
それに、「他人に決めてもらったほうがラクな人」って、少なからず存在するんだよね実際。僕もたぶんそう。
吉高由里子さんは、「どこまでが演じていて、どこまでがこの人の天性なんだろう?」と境界がわからなくなるほど、この「不機嫌で他人を支配する人」金田海として存在していて、この脚本を書いた蓬莱竜太さんの脚本・演出・キャスティング力って本当にすごいな、天才かよ、と圧倒されてしまいました。そりゃ伊藤沙莉さんも惚れるわ……(伊藤さんの結婚相手の方だったのは、観終えてから知ったのですが)
親友役のさとうほなみさんへの「あなたは僕ですか」感も強かった。
まあ、こういうのって、周りからみれば「お前はどっちかというと海(吉高由里子さんの役)だろ」って思われているものかもしれませんが。
いかにも舞台劇、というような気張りすぎた感じもなく、そんなに感動的なクライマックスも驚くようなどんでん返しもないのです(まあ、大きすぎるどんでん返しがあるといえばあるのか……)。
上演時間が終わっても、何も解決しない。舞台の上でさえも。
でも、それがすごく、僕には重苦しかったけれど心地よかった。
観終えて、背中の重い荷物にあらためて気づいたうえで、「それでも、生きているかぎりは、とりあえず生きていくしかないんだよな。僕からは眩しくみえる人でも、たぶん、実際はこんな感じで、うまくいかないことだらけなんだよな……人間なんて、お互いにすれ違いだらけで生きているんだよな……」と、ため息をつくしかない。
でも、みんなそうなんだ。なんか、安心した。
僕自身が部活のことばかり考えて、自分自身を振り回していた大学時代の記憶が、いろいろとよみがえってきました。
その後の人生での、自分の「空気の読めなさ」のことも。
自分だけが傷つけられているつもりで、無自覚に、他者を傷つけている。
「若さゆえの未熟」だと傍観者が判断するくらいのことでも、状況によっては、人を致命的なまでに傷つけることもある。
ただ、それは刑法に引っかかるようなことでもない。
安易な「救い」も「希望」もないのだけれど、「救いがない」ことを淡々と、真摯に描いていることに、僕はなんだか「救われた」のです。
少なくとも、新型コロナ禍以降に観た舞台のなかでは、僕はいちばん好きな(でも正直きついので二度観たいとは思わない)作品でした。
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