村田マリiemo株式会社CEO 「ビジネスを起ち上げ続け、女性の新しいロールモデルをつくりたい」

本荘 修二

iemo株式会社
代表取締役CEO・村田マリ
1978年岐阜県生まれ。岐阜、千葉、東京、名古屋で育つ。早稲田大学文学部を卒業後、サイバーエージェント株式会社に入社し、6つの新規事業開発に参画。2005年3月コントロールプラス株式会社を設立し、ウェブ制作事業を開始。2009年にソーシャルゲームへと事業転換を成功させ、2012年にgumiに売却後、シンガポールに移住。このほど、家と暮らしのオンライン・メディア「iemo」をオープンし、2013年12月にiemo株式会社を設立。
iemoフェイスブック・ページ:https://www.facebook.com/iemojp
ツイッター https://twitter.com/mary_ctrl_plus

これからが楽しみな女性起業家の方に経営コンサルタント・多摩大学客員教授の本荘が話をうかがう本連載の第十一回目は、再度の起業となる家づくりのプラットフォーム・サイトを運営するiemo株式会社の村田マリCEOの登場です。

iemo(イエモ)は、α版として公開されたばかりだが、リビングやダイニング、キッチンほか家にまつわる商品や部屋、屋外など1万点以上の写真(事業者が提供)から「まとめ」を作ることができ、スマートホンやパソコンなどで楽しむことができる。追って、リフォームなどの最寄りの事業者をみつけたり、商品を購入できるようにする予定だ。

市場の問題を解決する、家と暮らしの楽しいメディア

iemoは、インテリアやリフォーム、収納など家と暮らしのキュレーション・メディアとして立ち上げました。部屋のインスピレーションが沸くような写真が豊富で、暇つぶしに見ても楽しいサイトです。スマホで隙間時間にだらだら見るのに適していて、インテリア雑誌のリプレースに近い面もあります。

-AD-

メーカーや工務店など家のプロの事業者に写真を提供していただき、ユーザーがクリッピングしてまとめ記事をアップしていく形です。いま事業者は招待したところだけですが、すでに大手数社とのタイアップも仕込んでいて、年明けにはどんどん発表していきます。

リフォームしたいと思ったとき、ユーザーと業者が結びつく効率が悪いという問題があります。工務店を探すマッチングのサービスもありますが、知らない10社とかから見積もりが出てくるくらいです。家や住まいの情報に興味ある人とゆるくつながっておいて、ユーザーが何かやりたいときに、普段使っているサイトで探せるようになるといいですよね。

iemoは、大量にコンテンツを用意して、収納や内装を学びたいとか、日頃から興味をもってみていただく。いつか、子供ができてリフォームしたい、親が高齢化でバリアフリーにしたい、子供が独り立ちしたから子供部屋を趣味の部屋にしたいとか、ライフステージのそれぞれのタイミングで、業者とスムーズにつながってもらう。

例えば、小さい子用に部屋にブランコをつけたいと思っても、どこに頼めばいいか分かりにくいし、値段も高い。iemoだと、実例も写真でわかるし、両者が直接つながるから値段も安くできるでしょう。

いまトレンドとして注目のキュレーション・メディア(まとめ作成サイト)という形を、単にメディアとしてだけでなく、事業者とユーザーをつなぐ場として展開するiemoのモデルはよくできている。「すぐにでもマネしたいクリスマスツリー風アレンジ」、「2014年は、グリーンに注目!」、「見て!これがIKEAの収納ワザ!」など色々なまとめが溢れている。サイトをご覧いただくと、よりイメージしやすいだろう。

大波を探り、米国からヒントを得た

次にやる事業を考えるにあたって、市場が大きく自分で興味が持てそうなものを探りました。ニッチでも大きい市場でも努力量は同じ。つまり大きな波に乗るべしとソーシャルゲーム事業での学びがあったからです。そこで金融や不動産などいくつか案を出す中で、米国のHouzzが50億円ほどセコイアなど著名ベンチャーキャピタルらから調達したのを見て、日本でやってる人もいないし面白いかなと思いました。自分自身が30代になり、結婚や出産といったインテリアやリフォーム、DIYなど家に興味がでた節目でもありました。

-AD-

Houzzは、ホーム関係の業者が写真をあげてユーザーがまとめ記事をつくる英語圏で最大のマッチング・プラッットフォームで、ユニークユーザー数が1600万に上ります。

でも、一軒家でガレージと庭つきのアメリカンな家を対象としていて、日本の狭小住宅には合わない。マンション・リフォームなど、日本風のかみ砕き方をしたのがiemoです。日本でも市場は分散しているため、ユーザーと業者がつながりにくい。それを解決する場になればいいと思います。

主婦の方が掃除や収納をしている時間は長いですが、衣食住のうち、その住だけよいスマホ・メディアがなかったんです。それで2013年春に日本で市場調査すると、これが古い業界で、「スマホから家を探すなんてまだやらないよ」という考え方の人ばかり。どなたもやらないなら私がつくりますと着手しました。

スタートアップの相談や審査をしていると、なぜこのテーマに取り組むのかと疑問を持つことが多い。同時に、どうやって事業テーマを特定すればよいのかという質問をよく受ける。一つの答えは「市場が大きく自分で興味が持てそうなもの」という村田マリ式だ。市場ポテンシャルと目立った米国企業例から日本での事業化を考案するのは、タイムマシン経営とも言われたクラシックな手法だが、いまも通用する。それに、ネット業界が野郎ばかりで、女性起業家の強みが生きるという面もあろう。

小説家を目指す熱中少女がネットと出会う

ずっと歴史小説家になりたくて、小学生のときから一貫してストイックにそのための情報収集をしているような子でした。高校のときは古典が好きで、漢詩を白文(句読点・ 返り点・送り仮名等なし)で読みながら通学している変わった娘でした。

文学・哲学・歴史を紐解いているほうが楽しくて、当然クラスメートとも話題が合わず、途中で高校に行かなくなってしまいました。登校拒否のレッテルを張られそうなものですが、グレてるわけじゃなくて一つの個性だから認めてあげようという寛容な母に助けられたり、先生たちも「研究肌で大学に行けば伸びしろがあるはず」と、一丸になってくれて、大学入試の合間に二年生に混じって体育をとりながら、なんとか卒業させてもらいました。

父は大手メーカーの雇われ経営者だったんですが、バブルがはじけてライバル会社のお膝元に異動になったり、責任を取らされて降格になったり。苦難が多い父の背中をみて私は雇われるまいと思いました。もっとも弟は普通のサラリーマンやってますが。 

池波正太郎(歴史小説家)みたいになりたくて、早稲田大の文学部歴史専修に進学し、考古学研究会に入り、古流剣道・日本古武道を習いました。でも、モードは一変しました。

パソコンの授業があって面白いなと思い、パソコンを買ってネットを学びました。自分でプログラムして、ユーザー投稿が主のインディーズバンドのコミュニティ・サイトを二年生のときに起ち上げました。地方のバンドを知るのが大変だから、レコード会社から発掘のきっかけに使いたいと声がかかり、最終的にこのサイトを通してのイベント集客やレコード会社からのスポンサー収入で、月25万円以上の収入になりました。これがネットビジネスの原体験です。

興味あるテーマに徹底的に打ち込むのは、小さい時からの性分のようだ。とびぬけてフロー(熱中して幸福を感じる)状態に深く入りやすいのだろう。歴史小説家を目指した村田さんだが、インターネットに出会うと、その面白さに引き込まれていった。やはり好きなことに熱中する人は強い。

大きくなった組織を卒業し、起業

-AD-

卒業後の進路は、ネットと音楽で悩んだ結果、ネットをもっと学ぼうとサイバーエージェントに就職しました。就職活動した1999年は、藤田社長は25歳で20人くらいの会社でした。面接で3年勉強させてもらって独立すると言って、採用いただきました。

学生時代からプログラムができてライターもできるサイト運営経験者だった私は、粗削りですがコンテンツ・プロデューサー兼プログラマーの要件を満たしてたんでしょう。新事業を立ち上げては、また新しいプロジェクトの繰り返しで、6事業に立ち合いました。

サイバーエージェントにいた4年間で金曜に自宅に帰ったことはほとんどないんです。土曜の昼まで寝ずに電池が切れるまで働いていました。事業の立ち上がりに根詰めることが大切だし、徹夜も好きでした。この立ち上げの情熱をまわりにも求めたけど無理で、浮いてたんですね。

サイバーエージェントは株式上場して、300人位、グループで700人ほどに成長し、スタートアップというより安定した上場企業を期待する人が多くなり、私には居場所がなくなったと感じたんです。もっと熱量ある仕事をと思い、起業しました。

子供のころ思った雇われるまいの気持ちを、ここで自ら感じることになった村田さん。とことん熱中するには自分が雇い主になるしかないという結論は、自然と導かれたのです。

起業するも泥船に、そして必死の事業転換

2005年にコントロールプラス株式会社を設立し、ウェブの受託開発を始めました。続いて、デートスポットや恋愛に関するクチコミ情報サイト「デート通.jp」もオープンしました。ところが、主力のウェブ制作事業が、競合は増え、価格は下がり、厳しさを増して泥船になろうとしていました。

その頃、中国に視察すると、24-25歳の起業家があっという間に60人規模とかにソーシャルゲーム会社を成長させていたんです。ソーシャルゲームの波をダイレクトに感じて、日本でも間違いないと思い、事業転換を決心しました。

いままでの人生で、この事業転換が一番難度が高かった。もう胴体着陸ですよ。既存事業から人をソーシャルゲーム事業に移して、売上を落として転換するんですが、初めてゲームをつくるんで、遅れが続いて、売上ゼロが三ヵ月。機体をすり続けて、爆破するか飛び立つかのギリギリでした。

一刻も早くゲームを出すしかない。でもそのゲームの売上がどうなるかも分からない賭けです。結局、その最初のゲームが2年間売り上げを支えてくれました。

最初の事業テーマでそのまま突っ走れるケースは少ない。困った表情でウェブ制作市場の見通しを尋ねる村田さんに、筆者は手詰まり感が増す一方と答えたことがある。その後、スタートアップのコンファレンスでソーシャルゲームの話を聞きながら、ツイートする村田さんを筆者は覚えている。そして、コントロールプラスはソーシャルゲームへの転換で起死回生した。うまくやったなと思っている人もいるだろうが、壮絶な現場を乗り越えての成功だったのだ。

出産で変わる運命を前向きに導く

-AD-

ソーシャルゲーム事業が立ち上がり、初めて外部から資金調達をしようと、具体的な条件まで話がほぼ決まったところで、妊娠が分かりました。初産前の女性には、どれほどの難度のものか襲ってくるか予測ができません。きっと乗り越えるとは思うが、初めての出産に、何があっても頑張れますと100%言い切れない自分がいました。外部の方に責任もありますし、調達はお流れにさせていただきました。

やがてソーシャルゲーム市場が競争激化し、タフな戦いになったころ、私の帰りは遅くなり、80歳近い両親に深夜2時まで赤ちゃんをみてもらうという状態でした。そのとき、子供がぜんそくの発作を起こして、夜中に通院することが増えたんです。日本ではサポート・システムが高くて利用もできません。これでは、自分か父が倒れるか、子供の病状が悪化するかという危機です。

そこで、会社の売却へすぐ動きました。7社から興味を示していただき、一番カルチャーが似ていたgumiさんと話を始めて調印まで二週間で完了させました。これは神がかり的な運だったんですよ。この一ヵ月半後にコンプガチャ問題が出て、この分野の買収活動は一度全てストップしたんです。タイミングがズレていたらアウトです。資金調達もナシで結果的によかった。私が100%オーナーだったから即決できたし、変に時価総額を上げた調達ならすぐには売却できなかったかもしれません。

売却から一年半ですが、いまのパワーゲームの市場なら資金調達なしの単独企業では生き残っていないでしょう。国内ソーシャルゲーム会社が国内企業に買われる最初の例でもあり、意思決定が早かったのがよかったです。

強運な村田さん。同時に、運を呼び寄せる実力も見逃せない。意思決定と行動の早さ、的確さが特筆される。一方、日本は出産するワーキング・マザーへの環境づくりが急務だと感じさせるエピソードでもある。

ふとしたきっかけから移住したシンガポールが大正解

お医者さまから、子供のぜんそくは南の国に行けば治ると言われました。そんなとき、会社を売却したばかりでgumiにいると、たまたま隣の席にgumiシンガポールの社長面接に来ていたデービッドさんがいました。会社を何十社も創ってエグジットしたり、エレクトロニックアーツ(米国の大手ゲーム 会社)の東南アジア代表の経歴を持つ、面白い華僑系のビジネスマンです。ピンときて、デービッドさんと翌日朝食をご一緒させていただき、仲良くなれました。

その二週間後にシンガポール視察へ行きました。デービッドさんが、クルマで連れまわしてくれて、これは住みやすそうだと思いました。何度か視察を重ねて、とりあえず一年くらい移住しようと決めました。

行ってみると、シンガポールは子育てがしやすい環境が揃っている。東京に住んでいたら今のペースでiemoのビジネスは立ち上がっていません。フェイス・トゥ・フェイスのやりとりもビデオチャットで会えるから、物理的な距離感は感じず、いいことづくめです。

それに、こちらからアポをとらなくても、日本から視察に来る起業家や大手の社長と会えます。シンガポールでは観光も兼ねたリレーションが構築しやすい。夜だらだらもしないし、東京より効率がいい。流れが来てるところに身を置くと、訪問者も多く交流も深まるし、その中で情報のキャッチアップもできます。

ちょっとしたきっかけを活かす村田さんは、またも重大な決断を即座に実行。シンガポールへの移住が大吉となり、次の起業へとつながる。村田さんは、コミュニケーションが苦手だが、フラグが立ってると思う人にはアプローチして話しかける。「入れたい情報ゾーンが空いていて、そこに検索をかけながら生きてるんでしょうね」と村田さんは言う。

女性起業家の新しいロマンを追求

-AD-

シンガポールじゃなくてマレーシアでもいい。東京より安いし子育てしながらビジネスするには適してます。会社を売却してお金ができたから移住したのだろうと言われると不本意ですね。自分で生き方を設計するということです。

それぞれ理想があるでしょう。起業家だと、男のロマンは株式上場、売上100億円、社員1000人とか分かりやすいスコアがある。私もそういう風にすべきという先入観にとらわれていた時期がありましたが、いまはだいぶ変わって、女性は新しいロマンを見出していいと思ってます。

日本では、女性の仕事系の雑誌に、朝4時に起きて子供の弁当つくって仕事に行くといった、努力と忍耐、ザ我慢といった例が出ています。これを美徳と見る向きもありますが、誰にでもできることではないし、本当は苦しいでしょう。できるだけ幸せに働き続ける新たな手法をつくりだしていいと考えたら、肩の荷がおりて楽になりました。移住や遠隔はそのあらわれ。女性の起業家のロマンを追い求めるのもありかなと思います。我慢や苦痛をともなわずに輝ける全く新しいジャンルを開拓したいです。

女性起業家のロールモデルは特に日本ではまだできていない。村田さんが示す、幸せに活躍し続ける新しいモデルに期待したい。また、何をゴールにするかは自由なはずだが、常識や通念に縛られていることが少なくない。しばしば男子のエゴがマイナスに作用することがあるが、男女を問わず自分らしいモデルで生きるのが理想ではなかろうか。

潮流を知り、大きな波に乗る

ソーシャルゲームの次はというと、スマホくらいで、具体的には分かりませんでした。そこで、東南アジアが来るぞと。真っ只中にいないと見えないし、遠くにいて後で波に乗りに行っても手遅れになる。ソーシャルゲームもシンガポールも、流れに身を任せ波に乗る。無理に自分がこうしたいという意志であらがうとケガをします。ITやビジネストレンドの激流にいったん身を置いてみようと。

コントロールプラスは受託開発で創業し、五ヵ月後にCGMが台頭してきた頃にデート通というクチコミサービスをつくり、2009年にソーシャルゲームに参入しました。いずれも当時のビジネストレンドに乗る格好でした。私はウェブサービスに対してミーハーなんです。新しいのを見て使って、私もつくりたい、となる。情報感度が高くてトレンディーなものに食いつくことが得意なんです。興味ジャンルは家事とか、ちょっとづつ年齢相応なものになってますが。

基本は新しいテクノロジー、ウェブサービス、シリコンバレーの新しいビジネスをウォッチするのが好きです。それで事業つくれるのが強み。でも、何が来てるか情報収集しなければダメです。ガラケーからスマホへの移行が急激に前倒しになり、潮流が変わりましたが、波がどうなっているかインプットが重要です。シンガポールはインプットを得やすいんです。日本のことも、みながどう動いているか、レントゲンのように透けてみえます。

大きな潮流に身を任せて波に乗るという村田さんの戦略は分かりやすい。しかしその背景で、新しいものや流れの変化などウォッチが必要なわけだが、歴史小説家を目指していたころの行動から推察すると、かなりのマニアック度なのだろう。

ビジネスを起ち上げ続けます

いまiemoのチームは常勤7人で業務委託(SEOコンサル、外注パートナーほか)を入れると20人を超えます。古い知り合いやいっしょに仕事したことある人と、メンバーの知り合いです。

市場の状況をみると、スマホのメディアはパイの奪い合いになるので、エグジットのひとつにiemoを大きくできるところへの売却もありかと。そこでCEOは要らないと言われれば、身を引いて次のビジネスをやります。流れに身を任せます。 

-AD-

激流には逆らわず、全部受け止めるがモットーです。必要な局面になれば会社を売ってもいいし、株式持ち分100%にこだわらないとか、柔軟になりました。大変なことが起きても、次のステップへの何かの啓示だと思ってます。

トレンディーなビジネスを起ち上げ続けます。小説を何作か書いていくようなものですね。iemoは、いまだかつてないくらい自信があります。前回とはケタが違う結果を出したいと思います。

誤解無きように言っておくが、村田さんは一つひとつの事業に全力投球している。だからiemoにも絶対の自信を持っている。その上で、流れに逆らわず、何が起ころうと受け止め、前に進もうとしているのだ。今回、そしてこれからの村田さんの作品が楽しみだ。


 

おすすめ記事