TEXT 池田純一
ザッカーバーグに未来を指し示す
現代社会の担い手は、幼少期からインターネットの洗礼を受けた「ミレニアル世代」へと移りつつある。
その世代の一人として、若くして成功を収め次代の経営者として期待を集めているのが、Facebookの創業者であるマーク・ザッカーバーグだ。そして彼のお気に入りの一冊がモイセス・ナイムの『権力の終焉』である。
この本はFacebook上でザッカーバーグが主宰するブッククラブの第一回で推薦され、その結果ベストセラーになった。
『権力の終焉』とあるが、議論の骨子は、20世紀にあった権力が衰退していることを、政治、経済、軍事、ビジネス、宗教等の広範な領域に目配りしながら論じているところにある。
もちろんザッカーバーグが見出す前から、ナイムの名はジャーナリズムの世界で知られていた。だがその専門性ゆえベストセラーになるような著書ではなかった。その点では、そもそもこの本が日本語に訳されたこと自体、ザッカーバーグの功績が大である。
ここでは、内容そのものよりも、どうしてザッカーバーグの心を鷲掴みにしたのか、そしてザッカーバーグの行動にどんな影響を与えたのかという観点から扱いたい。
前回とりあげたジェレミー・リフキンの『限界費用ゼロ社会』がベビーブーマーの過去からの残響であるとすれば、ナイムの著作は、ザッカーバーグにとっては、ミレニアル世代を導く未来の指標の一つであった。
ベネズエラの元産業貿易大臣
モイセス・ナイムは1952年生まれのベネズエラ人で、経営、政治、ジャーナリズムの交差する場を経験してきた。MITのビジネススクールで博士号を取得し、89年から90年にかけてベネズエラの産業貿易大臣を務めた。
その後は96年から2010年まで14年間、外交政策誌“Foreign Policy(FP)”の編集長として活躍し、今ではその縁からカーネギー国際平和財団のフェローである。
FPは、『文明の衝突』で知られるサミュエル・ハンティントンがベトナム戦争の最中の1970年に創刊し、78年にカーネギー平和財団が運営に携わり、08年にワシントン・ポスト社に買収された。
ワシントンDCをカバーするアメリカの高級紙の一つであるワシントン・ポストは、13年にAmazonのCEOであるジェフ・ベゾスに所有権が移ったが、その際にFPは移譲されず、グラハム家の持株会社であるGraham Holdings Companyの傘下に留まった。
外交誌として有名な“Foreign Affairs”が、国連本部を有するニューヨークを拠点とするのに対して、FPは連邦政府を有するワシントンDCが本拠地だ。片や「外交問題(foreign affair)」、片や「外交政策(foreign policy)」であるのは、2つの都市の性格の違いを反映している。
このような伝統をもつFPの編集経験を通じてナイムは、21世紀を迎えて世界各地で旧来の権力が効力を失いつつあるという実感を得た。その実感を具体的にあとづけ、一つの展望へと練り上げたのが『権力の終焉』である。大規模かつ集権的なまとまりのある近代組織は何であれ、この先従来のようには機能しなくなると見通している。
ただしナイムは国際政治分析家らしく、権力が衰退しているのは決してITだけによるからではなく、IT登場以前から存在した20世紀後半の社会潮流に起因すると考える(このあたりの長期思考は前回のリフキンの発想と通底している)。
権力の衰退をもたらす三つのM
彼によれば、権力の衰退理由は三つのM、すなわちMore、Mobility、Mentalityからなる。彼はこれら三つの動きをいずれも「革命=Revolution」と呼んでいる。それぞれについて簡単に紹介してみよう。
まず、主に「物質的豊かさの向上」を意味するMoreについては、21世紀に入り貧困は国際的には減少傾向にあるという(特にアフリカ全土での豊かさの向上が顕著であるらしい)。その傾向の下で、世界規模での中間層(=グローバル中間層)が台頭しつつあり、しかもその多くは若い世代である。彼らは挑戦者として既存の体制に素直には従わなくなる。
次にMobility=「移動」についてだが、20世紀後半から、ある権力圏域(通常は国家)から別の権力圏域へ移動する人びとが徐々に増加しており、その結果、特定の領域における権力の実効性が低下しつつあるという。
そこからたとえば、移民ないし一時滞在労働者からの国境を越えた送金が、送金先の国にとって無視できない規模に至るという事態も生じる。この点で、今流行りの「フィンテック(Fin-Tech)」の多くが、銀行業務の根幹である「送金」まで対象にしていることも理解できる。安価で安全な送金サービスこそが「移動する人びと」にとっては不可欠の装備であるからだ。
さらにMobilityの変化のもたらす変化には、世界的な都市化の進展がある。人口1000万人を越えるメガシティが登場し、グローバル中間層の拠点になるという。
最後にMentality=「意識」についてだが、これはMoreやMobilityの変容に伴う人びとの考え方の変化のことだ。その中には、たとえば女性の社会参画に伴う、主には夫婦・家族関係に対する基本的価値観の変容も含まれている。
以上の三つのMをナイムは、権力の衰退をもたらす変化要因として取り上げている。ちなみにこのようなナイムの時代分析を与件として受け止めて考案された未来構想の一つがアル・ゴアの『アル・ゴア 未来を語る』である。
Revolutionのニュアンス
ところで今、「変化要因」と表現したものはいずれもRevolutionのことである。この言葉について少し触れてみよう。
もともとRevolutionという言葉は「公転」、すなわち、地球が太陽の周りを回ることを意味しており、人の手の及ばない自然の理に根ざした現象という意味を帯びていた。
たとえば産業革命(Industrial Revolution)とは「産業技術が不可逆の社会変化をもたらすこと」である。ナイムが「3つのM」に用いたRevolutionも、この「人の手の及ばない不可逆な変化」というニュアンスだ。
一方、「革命」という訳語は、古代中国の易姓革命に由来し、天命に則った政治体制の転覆を意味する(「天命を革(あらた)める」が原義)。大変化のRevolutionが政治体制の転覆に使われたのは、王政から共和政への大転換たるフランス革命が最初だとされる。
このように英語のRevolutionとは第一に「不可逆の大変化」を指しており、その一つが(日本語の「革命」としてまず想起される)政治体制の転覆である。裏返すと、Revolutionの訳語としての「革命」には、「人間の意思による社会変化」というニュアンスを必ずしも伴わないものもあるということだ。
たとえば本書でもThe Mentality Revolutionが無造作に「意識革命」と訳されているが、これは社会環境がもたらした「人びとの規範/価値観等における不可逆の大変化」のことである。決して自らの意志で考え方を改める「意識改革」のことではない。主体的に何かを変えようとする意志とは関係のない変化のことである。
イノベーションを指南する経営書の翻訳にはしばしば「革命」という訳語を見かけるが、その多くは人間の意志とは関係なく生じる自然的な不可逆変化のことである。人間による主体的意志を伴う政治的変革という意味との違いを意識することで理解が進むことは多い。
ともあれ、ナイムの3つのMの大変化=革命は、いずれもIT登場以前の国際的な政治経済情勢に基づくものであり、それらが従来からある権力を衰退させている。
では、この議論からザッカーバーグはどんなヒントを得たのか。
権力の「空白地帯」を埋める
『権力の終焉』は、主には政治経済的な、つまり国家や大企業を単位とした「マクロな権力」の衰退過程に焦点を当てていた。
だがFacebookによって、自らが挑戦者として既存のメディア社会に一撃を与えた実績をもつザッカーバーグから見れば、権力の衰退過程は同時に権力の空白地帯を生むように映り、その空白地帯を埋めることで新たな権力の均衡を導けると考えているようだ。
なぜなら権力とは、あまたある「力」の中でもとりわけ「他人に何かを行うよう、あるいは行わないよう強制することのできる能力」のことであり、人間集団、すなわち社会において生じる現象だからだ。
他でもない世界最大のソーシャルネットワークであるFacebookは、権力のベースとなる「人間集団=社会」の構成方法を変容させることが可能だし、実際変えてきた。ザッカーバーグならずとも、「権力の衰退」が生み出す「権力の空白地帯」を埋める、あるいは少なくとも干渉する存在として意識しないではいられない。
ここで「権力」と訳されたPowerの原義に戻り、「力」という視点から捉え直してみよう。そうした力の由来は政治的ものに限らないというのが、ナイムの着眼点であり主張である。
実際、ナイムもマクロではなくミクロな力(マイクロパワー)に注目している(本書の中国語版のタイトルは『微権力』)。このマイクロパワーはFacebookのようなソーシャルネットワークと相性がよい。
では、Facebookの上でどのようにしてミクロな力を編みあげ、大きな力(=権力)に練りあげるのか。
そのための方法の一つとして、ITはシミュレーションという手法を生み出している。
社会を多数の個体から成る集団と捉えるならば、それは人間の集団に限らない。社会は、猿のような動物や、蜂や蟻のような昆虫も形成する。そうした人間以外の集団行動を人間社会に当てはめた場合どうなるのか、と発想することは、コンピュータによる集団行動のシミュレーションが可能になった現代ではそれほど不思議なことではない。
そのような人間社会を斜めから見る視点は、ウェブ上のデータを渉猟し解析するビッグデータでも援用され得る。こうしたシミュレーション発想を使って、ミレニアル世代はインターネットを介して、現在進行形で「権力の創成」に取り組んでいる。Facebookもその一つである。
ザッカーバーグが見据える未来
ところで、上場後世界的な資産家の仲間入りを果たしたザッカーバーグは、自ら得た「力の振るい方」を模索している。公的機能を政府ではなく民間で提供しようとするフィランソロピーに、彼は強くコミットしてきている。
当初は、ウォーレン・バフェットやビル・ゲイツの誘いに乗る形で個人資産の公的利用のための誓約に賛同するぐらいだったが、徐々に関心を高め、先日、第一子が生まれた際には、未来の世代のためのチャリティを目指してChan Zuckerberg Initiative(CZI)を立ち上げた。
CZIはLLC(有限責任会社)として設立された。20世紀初頭からフィランソロピーの受け皿として活用されてきたファウンデーションではなく、法人とパートナーシップの中間形態といわれるLLCを選択したのは、その方がザッカーバーグのイメージするチャリティに適した高い自由度を確保できると考えたからだ。
彼は、従来なら別組織で行われてきた、民間企業への研究開発投資、政治的活動への関与、非営利法人への資金援助、の三つを一つの組織で連携して行いたいと考えた。こうして民間主体で公共的役割を果たす「力(≒権力)」もまた変質を迎えている。
近代的なフィランソロピーやチャリティの誕生は18世紀のイギリス社会に遡る。当時のイギリスでは、新興の(貴族ではない)ジェントリ層が中心になってCivil Societyすなわち「民間公共社会」が形成されつつあった(近藤和彦『イギリス史10講』)。
その慣習は、19世紀末の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの登場以来、アメリカ社会にも根付いている。その「力」のあり方をもザッカーバーグは変革しようとしている。
こうした試みは、ナイムの指摘する20世紀型の権力が衰退する中で、新しい力の配置を編みあげることを目指しており、おそらくは分権分散型の新しい社会を模索する動きの一つである。
そうしてミレニアル世代は、彼らが活躍する20年後、30年後の社会を具体的に形作り始めている。
1965年生まれ。FERMAT Inc.代表。コンサルタント、Design Thinker。コロンビア大学大学院公共政策・経営学修了(MPA)。早稲田大学大学院理工学研究科修了(情報数理工学)。電通総研、電通を経て、メ ディア・コミュニケーション分野を専門とするFERMAT-Communications Visionary-を設立。著書に『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』、『デザインするテクノロジー』、『ウェブ文明論』など。 最新刊は『〈未来〉のつくり方』(講談社現代新書)。