日本人も中国人も逃れられない…日中戦争の原因にもなった「幻影」の正体

浅田次郎氏・菊池秀明氏対談 前編

作家・浅田次郎氏のライフワークのひとつが、中国近代史を舞台とする「蒼穹の昴」シリーズです。その第6部となる最新作『兵諫』が、いよいよ7月に刊行されます。そして5月・6月には、第5部『天子蒙塵』の文庫版も発売に。中国が存亡の危機に立たされた苦難の時代に、浅田氏が目を向け続けるのはなぜでしょうか――。

学術文庫『ラストエンペラーと近代中国』(「中国の歴史」第10巻)の著者・菊池秀明氏と、近代の中国について語りました。

浅田次郎(あさだ・じろう)
1951年、東京都生まれ。1996年、清朝末期の中国を舞台とした長編小説『蒼穹の昴』がベストセラーとなり、シリーズ第3部『中原の虹』で吉川英治文学賞を受賞。この7月にシリーズ第6部となる『兵諫』が刊行される。他の著書に、『地下鉄に乗って』(吉川英治文学新人賞)、『鉄道員』(直木賞)、『壬生義士伝』(柴田錬三郎賞)、『終わらざる夏』(毎日出版文化賞)など多数。
菊池秀明(きくち・ひであき)
1961年、神奈川県生まれ、早稲田大学第一文学部卒業、東京大学大学院人文科学研究科修了。博士(文学)。現在、国際基督教大学教養学部教授。日中歴史共同研究(2006~09年)の日本側委員を務めた。4月刊の『中国の歴史10 ラストエンペラーと近代中国』(講談社学術文庫)が好評。その他の著書に『太平天国にみる異文化受容』山川世界史リブレット、『太平天国――皇帝なき中国の挫折』(岩波新書)など。
浅田次郎氏(左)と菊池秀明氏(撮影:森清)
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執筆の動機は、中国皇帝の手記だった

菊池:これまでも中国史を題材にした優れた小説は数々ありますが、その多くは三国時代や春秋・戦国時代を舞台としたもので、近代という「重苦しい時代」を正面から取り上げる試みはあまりなされてきませんでした。そうしたなかで、浅田先生が近代の中国に注目されたのはなぜでしょうか。

浅田:僕の場合、もともと漢詩が入り口になって中国に興味をもったんです。そして、宮崎市定さんの『科挙』や三田村泰助さんの『宦官』をはじめ、あれこれ読むうちに、すごく面白い本に出会った。それが宣統帝溥儀の『わが半生』で、これがもう、ずば抜けた面白さなんですね。

このときには自分は小説家になろうと思っていましたけども、作り話は絶対に実話にはかなわないと思ったわけです。トルーマン・カポーティは、これと同じ経験をして、事件を丹念に取材してノンフィクション・ノベルの『冷血』を書きましたけれど、僕はそうではなくて、史実と格闘しながら作り話を書きたいと思ったわけです。で、まさにまだその途中なんですね。

菊池:なるほど、そうだったんですか。

浅田『蒼穹の昴』は当初、義和団事件で終わる予定でしたが、中国の歴史は、王朝の最後の王は悪者で、これを放伐することで次の時代が始まるというパターンを踏んでいる。すると清朝で最後に放伐されるべきは西太后で、だから、西太后はことさら悪者にされたのではないか。そう考えていくと、西太后は悪女ではないというテーマができたんです。

1908年ごろの西太后[Photo by getttyimages]
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菊池:それは正しい見方だと思います。西太后が唐代の女帝・則天武后と重ねて語られたのは間違いないところで、実際は無類のバランサーですね。

内戦をやりながら外国ともバランスをとり、国を治めた。戊戌政変をへて変わっていき、のちに語られるような像が出てきますが、それまでは乾隆帝の治世を尊重し、幼帝をほんとうによく支えています。歴史を伝えるために、ひとりの人間と向き合いつづけるという先生の姿勢にはたいへん共感します。

浅田:小説ですから、嘘八百も多いですけどね(笑)。

近代中国をどう評価するか?

浅田:菊池先生の書かれた『ラストエンペラーと近代中国』もそうですが、最近の学術書は著者が歴史に対して遠慮なく解釈するようになりましたね。かつては、何か「この権威をおかしていけない」といった書き方が感じられて、どれも似たようなものになっていた。

でも、山室信一さんの『キメラ―満洲国の肖像』(1993年刊)の頃からかなあ、いまは本来の意味で、客観的な記述をする学者が増えて歴史書がすごく面白くなった印象があります。

清の最後の皇帝 愛新覚羅溥儀[Photo by gettyimages]
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菊池:かつての歴史書は、いわば「文を以て道を載せる」という感じで、はじめにイデオロギーありきでしたから。とくに中国近代史は、そこがとっつきにくかった一番の理由だと思います。やはり時間がかかるんですね。近代史がようやく「歴史」になったというか、歴史家が自分の立場や利害から離れて冷静に歴史を見るようになるには、どうしても時間が必要だということです。

それにしても、先生の作品を拝読すると、ずいぶん調べておられるのがわかります。それも辛亥革命を指導した黄興や宋教仁といった日本ではあまり知られていない人物にそれぞれ個性を与えながら中国近代史の真実を描いておられます。私も、宋教仁というのは、この時代の非常に重要な人物と思っているのですが…。

浅田:現在の中国で宋教仁の評価というのは、どうなんですか。

菊池:うーん、どうでしょうね。日本では宋教仁の日記を丹念に掘り起こした研究がありますが、中国では宋教仁をとりあげることは孫文の相対化につながるので、あまり歓迎されないというか。孫文を祭り上げておかなくてはいけない国にあって、宋教仁をあらためて評価しなおす必然性がないというのが、公的な見解のように思います。

浅田:孫文については、どう見ておられますか。

1923年の孫文[Photo by gettyimages]
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菊池:私の本(『ラストエンペラーと近代中国』)では、結構けちょんけちょんに書いていて、この本は台湾でも翻訳出版されたので、台湾の人が読んだら怒るんじゃないかな、と。ただ、私としては強さも弱さももった人間として描きたかったのですが、いずれにしても中国で孫文を突き放して評価するのはかなり勇気のいることですね。

浅田:僕も孫文はあまり評価していないんですよ。評価されるべき点は、とにかくお金を集めるのが上手だったことですが、それ以外は孫文でなくてもやれたことではないかという気がする。彼は革命の中心人物だったために死後、統一の象徴にされ、神格化されたんですね。でも、どうも孫文は小説の登場人物としても魅力を感じないので、スルーしてしまいました。蔣介石のほうがヒーローとして魅力がありますね。

蔣介石がつくった現在の台湾

菊池:これは今日ぜひお聞きしたかったのですが、蔣介石という人物をどう見るか。彼は軍事のスペシャリストで政治家ですね。日本軍と戦うことがどれほどリスクの大きいことか誰よりもわかっていたはずです。

浅田:蔣介石は日本にいたとき、陸軍士官学校じゃなくて士官学校の予備学校みたいなところに入って、そこから新潟県の高田連隊に配属された。つまり一兵卒として兵営生活を送っているわけですが、軍隊の「同じ釜のメシ」がつくりあげる帰属意識というのは、ちょっと異様なくらい強いんですね。ぼくは若いころ自衛隊にいましたから、そのへんの空気みたいなものはよくわかる。

そうしたことを考えると、蔣介石は日本に対するシンパシーをもった、いわば「隠れ親日家」だったのではないかと思うんです。小説家から見ると、とっても魅力的な人物なんです。あのゴツゴツした感じ、立派なだけじゃない感じが(笑)。

菊池:台湾にはこういう言い方があるんですね。「アメリカはひどい。日本に原爆を落とし、台湾には蔣介石を落とした」(笑)。もともとの台湾人には、国民政府にひどい目にあわされたという思いがあって、蔣介石を肯定したがらない。

1937年の蔣介石と宋美齢夫人[Photo by gettyimages]
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大陸のほうでも、南京の雨花台烈士記念館には国民党に殺された共産党員の顔写真がズラリと並べられています。当然、「蔣介石はひどい」という話になるのですが、でもそれはこの人物の一面である、ということを大陸の人たちはわかっているんですね。

日中戦争が終わったときに「敵を許せ、報復するな」と言った度量の大きさを覚えているお年寄りは日本にも多いですし、若い世代にも、蔣介石を一概に否定する感覚はないんじゃないかと思います。

浅田:いま台湾へ行くと、なんともいえない居心地のよさというか、幸福感をおぼえますね。日本に震災が起きれば、たちまち巨額の浄財を寄せてくれて、今回の新型コロナウイルスでも、すばらしい対応をみせる。

こうしたことを考えると、台湾というのはものすごく完成度の高い国だと思うんですよ。蔣介石の死後数十年で、もう台湾はこういう国になったわけだから、結局、蔣介石は偉かったんじゃないか、と思ったりしますね。

日中双方を脅かした“幻影”

菊池:その蔣介石とともに語られることの多いのが張学良です。『天子蒙塵』では重要な主人公であり、新作の『兵諫』で描かれる西安事変では、その後の世界史を大きく動かすことになるわけですが…。

浅田:日本軍の満州進攻に抵抗しなかったために「不抵抗将軍」と呼ばれた張学良ですけど、私が子どものころ、うちの父親が張学良のことを腰抜けのボンボンみたいによく言っていたのが耳に残っているんですね。ちなみに祖父は、鼻歌で「♪りぃーこーしょー(李鴻章)の禿げ頭」と歌っていた記憶があります。

1933年ごろ、当時31歳の張学良[Photo by gettyimages]
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それはともかく、張学良にとって日本は、親(張作霖)の仇であり、自分の国も財産も全部日本に取られたわけですから、絶対に許せない。一方で蔣介石は、親日家とはいえないまでも、日本を憎み切れない。僕はこのふたりの対立は結局その一点にあり、西安事件の根本はそこなんじゃないかと思う。

菊池:私は、張学良を不抵抗将軍と呼んだのは中国の抗日派だと思っていたのですが、どうも日本人が積極的にそう言っていたようですね。つまり、当時の日本人の認識のなかに、張学良がプレイボーイで、だらしない不抵抗将軍だというのがあった。それゆえに、中国人ではだめだ、われわれが満州国をつくってあげないといけない、という発想が日本人の意識の底流にあったのではないかと思います。

浅田:あの日中戦争は何だったのかと考えると、まったくわけの分からない戦争です。なぜあの戦争を始めて、ずっと続けなくてはならなかったのか。その発端は関東軍が起こした張作霖爆殺事件です。張作霖は軍閥の長ですけども、一国の主、事実上の君主と言ってもいい。それを日本軍がテロにかけたというのはじつに大変なことですよ。

菊池:そういう人物を爆殺したのは、張作霖は国家の主ではない、地方政権は国家に値しないと、当時の日本人が刷り込まれていたからでしょう。なぜそのような刷り込みがなされたかというと、中国は統一王朝としてひとつの明確な秩序のなかに束ねられていなければいけないという観念が、日本にもあったからだと思うんです。

じつはそれは乾隆帝の時代までにつくられた一種の理想形で、もし三国志の世界が中国の常態であって国内はつねにいくつかに分かれているものだと考えられていたら、この観念は生まれていなかった。近代以降も多様な中国があってもよかったわけですが、地方勢力が割拠する情況を見て、「このままでは中国はバラバラにこわれていくしかない。だったら日本が出て行って助けてやるしかない」と考えてしまった。

結局、中国人も日本人も「ひとつの中国」という幻影に引きずられてしまったと思うんです。

1754年に描かれた乾隆帝[Photo by gettyimages]
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浅田:じつは乾隆帝とは何かというのは、ぼくの小説の出発点なんですね。西太后は乾隆帝を信奉していた。一番すごかった時代に憧れ続けたわけですが、たしかに乾隆帝はすごすぎるんですよ。現在の中国の版図よりも大きい領土に広大な統一国家をつくりあげたのだから怪物です。  

しかし、乾隆帝があまりに偉大すぎたために清王朝は中華思想に凝り固まってしまい、太平天国という国内反乱にも悠長に構えていて、やがて王朝は転げ落ちるように衰亡していった。これは乾隆帝の功罪というか、つまり偉大すぎる人というのは、のちの災厄をまねく。これは歴史の教訓のひとつかもしれませんね。

(構成・文 武内孝夫)

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浅田次郎氏の「蒼穹の昴」シリーズ第5部『天子蒙塵』がついに文庫化! 第1巻第2巻は好評発売中。また第3巻と第4巻は6月15日、シリーズ第6部『兵諫』の単行本は7月12日に発売予定。「蒼穹の昴」シリーズの詳細は「浅田次郎ONLINE」にて。
菊池秀明氏の新刊『ラストエンペラーと近代中国』も絶賛発売中!

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