今回のベネズエラ大統領拉致事件と似たようなことをジョージ・H・W・ブッシュ政権がパナマでやらかしていたので、Grokに解説してもらいました。
『1989年12月20日に開始されたジョージ・H・W・ブッシュ大統領によるパナマ侵攻(Operation Just Cause)は、国際社会から広範な批判と非難を受けました。主な反応は以下の通りです。
国連(United Nations)の反応
- 安全保障理事会:侵攻直後、米国による軍事介入を非難する決議案が提案されましたが、米国・英国・フランスの3カ国が拒否権を行使して否決されました。一方、カナダも反対に回るなど、米国寄りの常任理事国が阻止しました。
- 総会:1989年12月29日、総会で「米国による軍事介入を国際法の著しい違反」と強く非難し、介入の即時停止と米軍の撤退を求める決議(A/RES/44/240)が採択されました。投票結果は賛成75、反対20、棄権40と、圧倒的多数で可決されました。賛成国にはラテンアメリカ諸国、ソ連、中国などが含まれ、反対には米国、英国、フランス、日本、カナダなどが含まれました。この決議は法的拘束力はありませんが、国際世論の強い反発を示す象徴的なものでした。
米州機構(OAS: Organization of American States)の反応
- 侵攻直後の12月22日、OASは侵攻を非難する決議を採択し、米軍の撤退を求めました。特にラテンアメリカ諸国から、米国の一方的介入に対する強い反発が表れ、「ヤンキー帝国主義」の復活として批判されました。投票では20対1(米国反対)で非難が決議されました。
その他の国際反応
- 欧州:欧州議会も侵攻を「国際法の著しい違反」と正式に非難しました。
- ラテンアメリカ諸国:多くの国が主権侵害として強く抗議し、地域全体で反米感情が高まりました。一部ではノリエガ政権の独裁を批判しつつも、米国の武力行使自体を問題視する声が主流でした。
- 米国同盟国:英国・フランスなどは安保理で米国を支持しましたが、総会では棄権や反対に回る国もいました。日本は総会決議に反対票を投じました。
- 全体の傾向:冷戦終結直後の時期だったため、ソ連などの反米勢力も強く非難しましたが、米国は自衛権行使やパナマ運河条約の保護、民主主義回復を主張しました。しかし、国際法学者や多くの国からは、国連憲章第2条4項(武力行使禁止)の違反として批判されました。侵攻の迅速な成功とノリエガ失脚後のパナマ安定化により、長期的な実質的制裁はなく、批判は次第に収まりました。
この侵攻は、米国の一方的軍事行動に対する国際的な懸念を象徴する事例として、後年の介入(例: イラク戦争など)と比較されることがあります。パナマ国内では一部で米軍を歓迎する声もありましたが、犠牲者(数百~数千の民間人含む)の多さから、長期的に反米感情を残しました。』
「泣く子とアメリカには勝てない」ということみたいです。
『1983年10月25日に開始されたグレナダ侵攻(Operation Urgent Fury)は、ロナルド・レーガン大統領主導による米国軍主導の軍事介入で、カリブ海の小島国グレナダ(人口約10万人)に対するものでした。冷戦期の共産主義拡大阻止を背景に、迅速に成功しましたが、国際法違反として強い批判を受けました。以下に詳細をまとめます。
背景
グレナダは1974年に英国から独立しましたが、独裁的なエリック・ゲイリー政権の腐敗と貧困に対し、1979年にモーリス・ビショップ率いる左派「ニュー・ジュエル運動」が無血クーデターで政権を奪取。人民革命政府(PRG)を樹立し、社会主義政策を推進しました。
ビショップ政権はキューバやソ連に接近し、キューバ支援でポイント・サリネス国際空港を建設(米国は軍事基地化を懸念)。米国はこれを共産主義の脅威と見なし、経済制裁や軍事演習で圧力をかけました。
1983年10月、党内対立で副首相バーナード・コード派がクーデターを起こし、ビショップを自宅監禁。国民のデモでビショップが解放された直後、軍が発砲しビショップらを処刑。ハドソン・オースティン将軍率いる革命軍事評議会が権力を握り、戒厳令を発令しました。
これを機に、東カリブ諸国機構(OECS)、バルバドス、ジャマイカが米国に介入を要請。米国は島内の約1000人の米国人(主に医科大学生)の安全確保と、地域の安定を名目に侵攻を決定しました。
侵攻の経過
- 日時: 1983年10月25日早朝開始、11月2日までに主要戦闘終了。
- 参加勢力: 米国軍約7300人(陸軍レンジャー、82空挺師団、海兵隊、海軍シールズ、デルタフォースなど)と、カリブ諸国約350人。
- 対する勢力: グレナダ軍約1500人+キューバ人約700-800人(主に建設労働者だが武装)。
- 主な行動:
- 戦闘は散発的で、米国側の優位な航空・海軍力で迅速に終了。作戦は共同作戦でしたが、指揮系統の混乱や通信問題が露呈し、後年の軍改革(ゴールドウォーター=ニコルズ法)のきっかけとなりました。
犠牲者
国際社会の反応
侵攻は国際的に広範な非難を浴びました。
- 国連:
- 英国: サッチャー首相は事前通告が短く、私的に反対したが、公には支持。英国は旧宗主国として複雑な立場。
- その他: カナダ、トリニダード・トバゴなども批判。ソ連・キューバは強く非難。一方、カリブ近隣諸国は支持。
- 全体として、米国の一方的介入は国連憲章違反と見なされ、パナマ侵攻同様に象徴的な事例となりました。
結果と影響
侵攻後、暫定政府が設置され、1984年12月に選挙で親米のハーバート・ブレイズ政権が誕生。米国軍は12月に撤退しましたが、カリブ平和軍が治安維持。
米国国内ではベトナム戦争後初の「勝利」として支持され、レーガン政権の人気回復に寄与。一方、軍の共同作戦問題が明らかになり、改革を促しました。グレナダでは現在、侵攻の日を「感謝の日」として祝日としていますが、反米感情の残る側面もあります。
この侵攻は、冷戦末期の米国介入主義の典型例として、後年の議論でしばしば引用されます。』
これも明白な国際法違反なのですが「泣く子と米国には勝てない」ので結局非難決議されただけでした。
ニクソン政権時代のチリでのクーデターの背後にはCIAがいたことが公文書の公開で明らかになっています。
『1973年9月11日のチリ・クーデター(アウグスト・ピノチェト将軍主導)において、米国(特にCIA)はサルバドール・アジェンデ政権の転覆に深く関与していたことが、複数の歴史的証拠から明らかになっています。以下に詳細をまとめますが、これは冷戦期の米国がラテンアメリカでの共産主義拡大を防ぐための介入主義の一例です。
なお、CIAはクーデターの直接実行者ではありませんでしたが、事前の支援と奨励が鍵となりました。
背景
- アジェンデ政権の成立: 1970年、サルバドール・アジェンデはチリ史上初の社会主義大統領として選挙で選出されました。彼の政策(銅鉱山の国有化、土地改革など)は米国企業(例: ITTやアナコンダ銅山)の利益を脅かし、ニクソン政権はこれをキューバやソ連の影響拡大と見なしました。
- クーデターの経過: 1973年9月11日、ピノチェト率いる軍が首都サンティアゴの大統領宮殿を攻撃。アジェンデは自殺(または殺害)し、ピノチェトが軍事独裁政権を樹立。結果、数千人規模の死者・行方不明者を出しました。
米国の関与(CIAの役割)
米国政府はアジェンデの当選阻止から始まり、政権転覆まで一貫して介入しました。主な活動は以下の通りです:
- 資金援助とプロパガンダ: CIAは1970年から1973年にかけて、合計800万ドル以上を投じ、アジェンデ政権の「不安定化」に使用しました。これには反政府メディアへの資金提供、ストライキの奨励、経済封鎖が含まれます。例えば、トラック運転手ストライキ(1972-1973年)ではCIAが資金を供給し、経済混乱を助長しました。
- 軍事クーデターの支援: CIAはチリ軍の高官と接触し、クーデターを直接促しました。1970年、アジェンデ就任阻止のための「トラックII」作戦では、CIAが軍将校に資金と武器を提供しましたが、失敗(将軍レネ・シュナイダーの暗殺事件)。その後も継続的に軍を支援し、1973年のクーデター直前には情報共有や計画援助を行いました。
- ヘンリー・キッシンジャーの役割: 当時の国務長官キッシンジャーは、ニクソン大統領の指示で介入を主導。「チリをキューバ化させない」とのメモが残っています。解分類文書では、クーデター前日の1973年9月8日と11日の大統領日報(PDB)でCIAがクーデターの可能性を報告していたことが確認されています。
証拠と暴露
- チャーチ委員会(1975年): 米上院の調査委員会がCIAの海外介入を暴露。チリでの活動が詳細に報告され、国際的にスキャンダルとなりました。
- 解分類文書: 1990年代以降、CIAや米国務省の文書が公開され、関与が裏付けられています。例えば、国立安全保障アーカイブ(NS Archive)やCIAの公式リリースで確認可能。
- 公式見解: 米政府は関与を認めつつ、「直接クーデターを指揮したわけではない」と主張。ただし、歴史学者やブリタニカ百科事典では、CIAの行動がクーデターの成功に寄与したと評価されています。
この関与は、チリ国内で長期的な人権侵害(ピノチェト政権下の拷問・失踪)を引き起こし、国際的に米国への批判を招きました。一方、冷戦の文脈では「必要悪」と見なす声もあります。詳細を知りたい場合、具体的な文書や人物についてさらに質問してください。』
こういうのも間接的な侵略ともいえるのですが、米国が直接軍事介入してないので微妙なとこで、米国は同様の秘密工作を中南米で頻繁に行っており、ソビエト連邦崩壊後は世界中で行うようになっています。
いずれにしても「泣く子と米国には勝てない」ので自分勝手なジャイアントはしたい放題です。
まあ、米国の国際法違反の数々はウィリアム・ブルム氏の著作に書かれてますので是非お読みください。
世の中コークスクリュージェットコースター:ウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪全書(原題:Rogue State)』2003.4
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『アメリカの国家犯罪全書』は中古でかなり高額でしか入手できないみたいですが、図書館で取り寄せてもらえば読めますので是非読んでみてください。
米国は第二次世界大戦後、「普通の国」から「超巨大広域暴力団」になってしまったようなのですが、日本人の多数は全然分かってないみたいですし、アメリカ人も分かってないみたいです。
ブルム氏の著作によると、第二次世界大戦後のアメリカの歴代大統領とそのスタッフは、ほとんどが国際法違反の戦争犯罪者です。




