爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

日本の新車に占めるEVの比率はまだ2%未満。もしも100%になったら電力供給は大丈夫なのか。

昨年の日本の新車供給数のうちEVは2%に満たなかったそうです。

ヨーロッパや中国はかなり高い数値となっており、ニュースでも「日本の遅れ」がどうのこうのと言っていましたが、私の見るところあちらが狂っており、まだ日本の状況はまともな方と思います。

 

しかしEVの比率が上昇していった場合、大きな問題が数多く露呈してくると思います。

まず厳しいのがその主な部品である蓄電池の原料の問題。

多くのレアメタルも使用され、それがまともに供給できるのか怪しいものです。

それと共に大問題となりそうなのが、充電用の電力供給でしょう。

現在はまだ微々たるものであるため、ほとんど問題化していませんが。

 

そこで、「もしもEVが自動車総数の100%となったら」ということを考えてみます。

 

こういった仮定の議論を嫌う人もいるでしょう。「現実的ではない」とか「100%になるまでに技術改革ができる」などということを言い出しそうです。

しかし私はこういった新技術の評価をする場合にはこのような「すべてその技術に入れ替わったら」ということを考えることで、その技術の隠れた問題点が明るみに出るものと思います。

その問題点というものは単なる技術開発の遅れなどと言うものではなく、根本的な原理の段階にあるかもしれません。その場合はもはやその技術の開発に手間や費用を掛ける意味はなくなります。

 

というわけで、またChatDPIに聞いてみました。

詳細は引用しませんが数値だけでも拾い上げてみます。

 

まず前提として日本の自動車保有台数が8000万台、EVの平均電費が6㎞/kwh、年間走行距離が8000㎞という数字を使います。

すると必要電力量が1台あたり1300kWh/年、総台数を掛けると1300✖8000万ということで、年間約1000億kWhとなるそうです。

 

日本の現在の総発電量は年間1兆kWhであり、EVの電力量はその10%、まあ供給可能なレベルだということです。

 

ただし、これは数字だけの机上の空論です。

その後にChatDPIも挙げていた問題点が、「発電総量ではなく充電時間帯」だということです。

もしも多くのEVが昼間の使用が多く、充電は夜間にするということになると、夜間の必要電力供給が莫大なものとなり、瞬間的には供給可能量をはるかに上回ることとなります。

特に急速充電というのは1台で家庭50から100軒分の瞬間電力を必要とするとか。

 

しかも充電時間帯が夜間が主ということになると、太陽光発電などは全く役に立たずどの電力を使うのかも問題となります。

 

ChatDPIも「EV100%は「技術問題」ではなく「社会コストと自由をどこまで差し出すか」の問題」と結論づけていました。

 

脱炭素のためにはEV化が必要ということにとらわれず、社会と技術の面から詳しく想定していくことが必要なようです。

 

「沈黙の王」宮城谷昌光著

宮城谷さんの初期の短編小説集です。

中国のかなり古い時代の人物を扱っています。

 

「沈黙の王」は商(殷)王朝の中興の王、高宗武丁の生涯を描きますが、高宗の妻が婦好であり、その遺物が最近になって発掘されたのは事実です。

さらに高宗は耳は聞こえるものの言葉が発せられないという設定にしてあり、だからこそ漢字の元となる文字を作り出したとしています。

 

「地中の火」は商王朝よりさらに古い夏王朝の時代に夏王を倒したと言われる后羿とその配下で后羿を倒して一時王権を奪った寒促の伝説を描きます。

 

「妖異記」は周王朝をいったんはつぶしてしまった幽王とその愛妾褒似について、王朝の史官であった伯陽という人物に語らせるように記しています。

次の「豊饒の門」は同じ時代をもう一方の重要人物、王朝の高官であった鄭国の君主友(鄭の桓公)の息子の掘突(鄭の武公)を主人公としその観点から描きます。

 

最後の「鳳凰の冠」は少し時代が下りますが、春秋時代の晋の国で賢人として知られた叔向(羊舌肸)の話です。

叔向は中原の国の中でも優れた賢人として同時代の鄭の子産とも交流があったと言われていますが、その妻は夏姫の娘でした。

夏姫とその夫巫臣については宮城谷さんは「夏姫春秋」で書いていますが、その後日談となるのかもしれません。

 

中国古代の人々の考え方、物の感じ方などはとても想像もできないものですが、それを活き活きと描写してしまう宮城谷さんの筆力を感じさせるものとなっています。

 

 

Homo ambulans et cogitans: 「歩いているそして考えている人」

表題としているのが「歩きそして考える」ということを生物学名風にラテン語にしたらどうなるかということを示したものです。

 

アリストテレスキルケゴールヴィトゲンシュタインなど、歩きながら考えた哲学者も数多いようです。

そんな人たちと比べるのも恐れ多いことですが、私も歩きながら考えると考えがまとまると感じていました。

(昨今の道路事情ではあまり誉められたことではないかもしれませんが、都会はともかくこんな田舎では大丈夫です)

 

会社を辞めて以降、散歩をすることが多くなったのですが、その時は家でじっとしているよりはるかに頭がすっきりするように感じたものです。

 

ただし、このところ「歩いた時に考えたことを歩き終わったら忘れてしまう」ことが起きるようになってしまいました。

 

一昨日も散歩しながら考えていて、とても良い思い付きをして、「帰ったらさっそくそれをブログに書いて」などと考えていました。

しかし家に帰り手を洗ってうがいをし、着替えたらもうすっかり忘れてしまい、寒かったので炬燵にもぐりこんでしばらくすると、歩いている時に何を考えたのか全く思い出せません。

 

困ったもので、もう歩きながら考えたこともその場でメモしなければならないのか。

散歩にはメモ帳とペンを持って行った方が良さそうです。

情けないものです。

 

「メール私語の登場」島田博司著

「メール私語」とは何か。

大学の授業で見られた「私語」というものはかなりの問題となったようですが、それがある時期からパタッと止みました。

その理由が「メール私語」だったそうです。

そしてその時期というのがケータイが一斉に普及しだした1999年頃からだということです。

 

本書の題名はメール私語となっていますが、本書内容のほとんどはその前の時代の「授業中の私語」に関するものです。

これは本書の成り立ちにも関係することのようで、1990年代初めから章ごとに発表されてきた文章を2002年になって一冊の本としたというものです。

その初期の頃にはまだメール私語は存在せず、実際に声に出して隣の学生と話すいわゆる「私語」が普通でした。

それに対しての様々な取り組みを行ったということがその後も書かれていたのですが、最終章になって突然「私語がなくなった」となります。

実際には無くなったのではなくメールで話し出しただけだったのですが。

そんなわけで、本書一冊で全体としてのまとまりは少し欠けているのですが、時代の移り変わりを極めて反映したものとなっています。

 

大学での授業中の私語というものは、最初は昭和40年代の私立の女子短大から始まったそうです。

それが徐々に四年制大学、そして男子にも広がっていきました。

これは大学進学率とも大きく関わることで、かつてはエリートが学ぶ場所であった大学では私語などはありうるはずも無かったのですが、進学率が高まりエリート型からマス型へと移行する時代から私語を行うような学生が徐々に増えだしたということのようです。

 

ただし、必ずしも「私語=無駄話」でもなかったようです。

その内容が「その授業に関して」のものであることも多く、先生の話す内容についてすぐその場で隣の学生と話してしまうということがあったそうです。

それは無駄話には当たらず、ただし授業中に隣の学生とするのにふさわしいとも言えないものでした。

 

著者の島田さんは女子大の教授を歴任していますが、その中で武庫川女子大学在職中にこの問題を授業でも取り上げ、学生と共に検討したことがありました。

ところがその当時の武庫川女子大では学生をアメリカの大学に一定期間派遣し学ばせるという制度を取っていました。

その留学経験者の学生たちはこの私語問題についてまた別の観点を持っていました。

アメリカの大学では教授が一方的に話すだけの授業はありません。

常に学生たちと討論しながら進めていくのが普通であり、日本の学生たちもその経験をしていました。

 

 

彼女たちもアメリカにいた時はそのような授業態度であったのに、帰ってきて日本で大学の授業に出ると再び私語の世界に入ってしまう。

そういったことも学生たちと共に検討していったということです。

 

学生の授業態度では私語ばかりでなく無語、避語などと言うものも出てきてしまいます。

いずれも教授ときちんと討論しようということはなく、授業というものの価値を認めていません。

そこには学生特有の心理があり、教授とまともに討論しようとすると仲間の学生からカッコつけと見なされて浮いてしまうということのようです。

それが状況をさらに混迷させることとなりました。

 

もうかなり以前の本ですので、最近の状況とは異なるのかもしれませんが、教授の側の授業の進め方にもかなり問題があるもののようです。

現在はどうなっているのでしょうか。

八代市南部幹線の新大橋工事進捗

八代市の新しい都市計画道路南部幹線の前川を越える橋の建設は、散歩の途中に気が付いたのが一昨年の暮れでした。

sohujojo.hatenablog.comそれからどうなったか、約1年経過した現在の状況を見に行ってきました。

川の中央部から南側(右側)の橋脚2基は以前の写真にもありますが、北側(左側)の川岸近くの橋脚は以前は無かったものです。

徐々には進んでいるのでしょうが、なかなか出来上がらないように見えます。

 

この橋ができると左側の市内中心部から右側の麦島・植柳方面への通行がかなり楽になるのでしょう。

私の元気なうちにできるのでしょうか。

 

 

幻想の高支持率頼りの衆院解散、7条解散の誤り

高市首相は通常国会の開催冒頭で衆議院を解散することを決断したそうです。

解散などする場合ではないとか、働いて働いてなどと言っていたのが口先だけというのがはっきりとわかる行動です。

野党を始め、さすがに今回はメディアも批判しているようですが、それが国民に届くのかどうか。

 

解散の理由も全く説明することもできないでしょう。

政権幹部の話として報道されたのが「国会が始まって論戦すると支持率がどんどんと下がるだろうから今が一番良い」だそうです。

このような完全な党利党略で長期間の政治空白を作るということが何の疑問もなく受け入れられるのでしょうか。

 

実はこのような議会解散ということが行われるのは世界的にも珍しいことのようです。

議会解散という制度自体まったく無いのがアメリカなどですが、制度はあっても厳しい条件があるところが多いようです。

このような総理大臣の勝手気ままに議会解散ができるというのは、憲法第7条によるものですが、どうやらこの制度は制定時のドタバタでできてしまったもののようです。

よく知られているように現憲法は連合国占領時にGHQがその原案のほとんどを作り日本側に提示しそれを翻訳して制定したものですが、その細部まできちんと検討されたものではなく矛盾や不合理もそのままとされました。

そして吉田内閣により首相に衆院解散権があるということが主張されそのまま慣例となったということです。

 

そしてその首相の議院解散権というものを乱用したのがあの安倍内閣だったと言えるでしょう。

消費税率引き上げの是非を問うなどと意味の分からない理由で解散したりしました。

それから見ると、今回の高市解散は「自党が有利になるから」という理由ははっきりしているだけまし?

まあ安倍の弟子としてはやりそうなことです。

 

とにかく高市の思惑通りにはいかないことだけを願いますが、日本の大衆心理というものがどうなるか、まったく分かりません。

 

と言っている間にもまたもとんでもないニュースが入りました。

なんと大阪府知事大阪市長がともに辞職、衆院選と同日選挙とするということです。

議会の解散とは違いますが、自らの退職から再立候補、やる必要がどこにあるのか分からない選挙です。

大阪都構想」への有権者の信を問うなどと言っていますが、性懲りもない。

つくづく大阪の人々をナメ切った態度と思いますが、そんなのを選び続けているのだからなめられても仕方ないのでしょう。

これで当選すれば大阪都構想が承認されたというつもりなんでしょうが。

 

ますます日本人であることが嫌になるような情勢になっていきます。

 

ユーラシアグループが発表した世界の十大リスクの中から、橋本淳司さんが特に「水のリスク」を解説

先日アメリカのユーラシアグループという団体が「世界の十大リスク」を発表した件については紹介しましたが、その中から特に「水のリスク」を取り上げた橋本淳司さんの記事が掲載されていました。

news.yahoo.co.jp私はこの中ではトランプ関係が重大と思っていましたが、橋本さんは水の武器化ということに特に注意をするべきと感じられたようです。

 

日本ではあまり感じられないことですが、世界的には水が慢性的に不足している地域が多いということです。

さらにそれが気候変動で激化する危険性があります。

そして水資源は一国だけでなく大河の流域諸国に関係することが多いのですが、現状ではその関係各国間のトラブルを解消するルールというものがほとんど整備されていないそうです。

 

現状でもナイル川(エジプトとエチオピア)、インダス川(インドとパキスタン)で紛争の種となっていますが、中国がチベット自治区で建設を計画しているブラマプトラ川の巨大ダムは下流のインドやバングラデシュの水利にも大きな影響を及ぼしかねず、今後の紛争が危惧されています。

 

さらにダムや水インフラがテロの標的となる危険性もあり、またダムが攻撃されると決壊した場合に下流に大きな被害が出ることも予測されます。

 

できるだけの対策をするとともに、国際紛争を解決するルールの整備などが必要なのでしょう。