XRプラットフォーム「STYLY」を活用し、Apple Vision Proを利用したユースケースの創出から社会実装までを推進する──。そんなビジョンを掲げる共創型オープンイノベーションラボ「STYLY Spatial Computing Lab(以下SSCL)」が設立された。キックオフにあたり名を連ねたのは、STYLY、KDDI、J.フロント リテイリング、そして『WIRED』日本版。
4月24日に4者が一堂に会し、STYLY Spatial Computing Labの設立記者会見が開催された。STYLYからは執行役員であり、SSCLの所長を務める渡邊遼平、KDDIパーソナル事業本部の佐野学、J.フロント リテイリング執行役常務デジタル戦略統括部長の林直孝、『WIRED』日本版からはエディター・アット・ラージの小谷知也が登壇。司会はニッポン放送の吉田尚記が務めた。
「身にまとう」が進化のカギ
「2030年以降は空間を身にまとう暮らしがやってくる」
こう記者会見の冒頭で語るのはSSCL所長の渡邊遼平だ。
ウォークマンの登場で音楽が、iPhoneの登場で生活が変わったように、渡邊はテクノロジーの進化の歴史を振り返りながら、わたしたちの生活のなかで自然に身にまとうようなテクノロジーが、人間のライフスタイルを変化させると説く。
STYLYはApple Vision Proの登場前からXRプラットフォームを生み出しているが、2024年2月末に米国で発売されたApple Vision Proの存在がひとつの転換期になると渡邊は続ける。指のジェスチャーや目線、Siriでの音声入力による直感的な操作が可能となるApple Vision Proは、これまでわたしたち人間が認識していた「空間」を拡張させるデバイスだ。これが一般の人でも入手できる、誰でも使えるデバイスとして登場したことが大きい。
「デバイスが一般化された先で鍵となるのはコンテンツ。わたしたちはそれを継続的に提供するためのプラットフォームを提供し、コンテンツを継続的につくるクリエイターを育成してきました。Apple Vision Proの登場で一気に普及するのではないかと考えています」
物理的な空間とデジタル情報の融合する空間コンピューティングが実現した未来は、どのようなライフスタイルになるのか。渡邊は「これから、AR、MR、そしてVRという多層化された空間を行ったり来たりしながら生活するライフスタイルがやってきます。空間がディスプレイになり、生活に合わせてさまざまな情報が表示されていく。そして誰もが空間をつくって自由に配信できる。そんな未来をつくっていきたいですね」と、SSCL設立の決意を語った。
このようにSSCLは、このApple Vision Proをターゲットデバイスとしてビジネスの創出を目指す。それでは各社はどのようにSSCLにかかわっていくのだろうか。
体験を「次の段階」に
KDDIは、これまで都市連動型メタバース「バーチャル渋谷」や「αU」など、Web3の技術開発を進めてきた。今回のSSCLへの参画についてパーソナル事業本部の佐野は次のように言う。
「Apple Vision Proはパーソナルなデバイスとして位置づけられていますが、部屋の中だけではなく、屋外でも使用される時代が必ずやってきます。そうなると、最も重要なのはデータを転送するためのネットワーク。6Gなどの高速通信環境も含め、シームレスな体験設計を推進していきたいです」
SSCLにおけるKDDIの役割は、高精細なXRコンテンツに有用な5G SAなど先端の通信ネットワーク環境を提供し、空間伝送・空間音響表現などのXR技術連携を図っていくこと。今後、大容量の送受信が必ず必要になることから、ネットワークキャリアとしてのKDDIの強みが生かされそうだ。
「場所」と「人」をつなぐ
さらにJ.フロント リテイリングは、全国の主要都市にリアルな店舗をもつことが強みだが、これまでもSTYLYと共同開発で、フィジカルとデジタルを融合したリアルメタバースの領域でのコミュニケーションの場所を創造してきた。さらにPARCOやGINZA SIXなど自社の商業施設でXRイベントを頻繁に開催し、新たな商業施設のあり方を模索している。
今回のSSCLへの参画についてJ.フロント リテイリングのデジタル戦略統括部長の林は商業施設の役割の変化を語る。
「これまで培ってきた顧客設計に基づき、人々が集まる環境を活用しつつ、その場所に明確な目的をもって訪れるような体験を提供していくことが重要です。これが新しい商業施設の魅力だと考えています。例えば、現在の渋谷駅前は広告で溢れていますが、3D空間で表現できることで可能性が広がります。街歩きがいまよりももっと楽しくなると思いますね」
SSCLにおいてJ.フロント リテイリングに期待されることは、グループの商業施設「パルコ」「大丸」「松坂屋」などの生活者との接点を提供する商業施設の運営で養ってきたコンテンツ開発力と、新たなライフスタイルコンテンツの実装と検証。「人が集まる場所」のプロであるJ.フロント リテイリングは、街のあり方も変えるかもしれない。
未来をバックキャストで考える
今回、SSCLには『WIRED』日本版も参画する。STYLYの渡邊は「『WIRED』独自の視点と編集力を期待したい」と言う。
『WIRED』日本版はWIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所などの取り組みから、SF作家との結びつきが強い。WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所所長でもある小谷は「SSCLにもどんどんSFの視点を入れていきたい」と語る。
「例えば自動車が発明されたときに、誰よりも早く『渋滞というものが起きるよね』と予測し、そのために社会は何を準備すべきなのか、という未来を見通す視座をもっているのがSF作家です。SSCLでは未来のライフスタイルがどう変化するのかを予測し、バックキャストして、未来のために何を準備しておくべきなのかを考えていきたいです」
SSCLにおいて『WIRED』日本版は、空間コンピューティング市場に関するユースケースをリサーチし、ワークショップの開催も予定している。
意味がない空間が「おもしろい空間」に変わる
記者会見終了後、司会を務めたニッポン放送の吉田尚記にも話を訊いたが、吉田は、そもそも「空間」と「ラジオ」の関係が深いと指摘した。
「ラジオは意味のない時間の流れに価値を付与して生まれたものです。だから意味がないと思われている空間も、スーパーコンピューティングによっておもしろい時間に変わるのかもしれない。可能性を感じますね」
吉田の言うように、記者会見後に体験したデモでは、何もない床からボールが飛び出したり、なんの変哲もない会議室の空中に、突然レコードプレイヤーが出現したりした。
床のマーカーを読み込むことで出現するボールは、軌道上に手のひらを当てると軌道を変える、天井にぶつかると跳ね返ってくる。単純な動作ではあるが、自分の手はもちろん、壁や天井という周囲の環境を認識していることがよくわかる。
レコードプレイヤーはリズムに合わせた波が出現し、自分の足元をくるくると回った。意味がないと思っていた空間が、一瞬で視覚的にも楽しめる新しい空間に変わったのだ。こうなると、今後、SSCLでつくっていく音楽、ファッション、インテリアなどさまざまなジャンルのユースケースが楽しみでしかたない。
今後のSSCLの具体的な動きとしては、リサーチリポートの公開、コンテンツを詳細化したワークショップの開催、プロトタイピング、体験機会と共創パートナー同士のコミュニティーの創出が挙げられる。6月に米国で開催されるXR関連の展示会「AWE」に出展し、2024年内にはエンドユーザー向けのイベントも計画されている。
空間コンピューティングが実装されたら、わたしたちは間違いなく新しいライフスタイルを手に入れるはずだ。SSCLの取り組みに注目してほしい。
(Edited by Tomonari Cotani)
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雑誌『WIRED』日本版 VOL.52
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