ビル・ゲイツの回顧録にウィリアム・ワーズワースの詩は登場しない。でもその『Source Code: My Beginnings』を読んで頭に浮かんだのは、1802年にこの詩人が書いた有名な一節「The child is father of the man(子どもは大人の父)」という言葉だ。本書の大半はゲイツの幼少年期に割かれ、マイクロソフト立ち上げの話が出てくるのは最終盤だ(今後刊行される第2部はマイクロソフトの話で、第3部はゲイツ財団の物語になるという)。
ゲイツを取材して40年以上になるが、回顧をしない人だと思ってきた。生い立ちを深く探るような質問をすると、ふざけた返事をするか逃げるかで、いつもはぐらかされてきた。だがこのほど刊行されたゲイツにとって5冊目となる本書では、一人称で語られるビル・ゲイツの個人史が300ページにわたって綴られている。
コンピューターが世界への扉を開く
その述懐によると、シアトルで育った子ども時代は、優しく思いやりのある両親とアメリカンドリームの薫りに包まれた1950年代のホームコメディそのもののようだったという。だが、家族関係は危険をはらんでいた。その元凶はゲイツの奇行だ。ゲイツ少年は、宿題をしたり、ちょっとした頼みに応じたり、会話するといった親の願いを聞くのを拒否。家族や教師、クラスメートとも付き合いを拒んだ。冗談を飛ばしたり、皮肉で返したりした。そして口癖は、「これまで聞いたなかでいちばんバカっぽい話だ!」というものだ。(のちにこのセリフはシアトルのエリート私立校であるレイクサイド校の廊下に響き、マイクロソフト社員が繰り返し聞かされるものとなる)。
レイクサイド校で、ゲイツは学校の勉強をするとメリットがあることに気づいた。学校の演劇に出れば、人気の女子に近づきやすいことにも気がついた(ただし、プロムダンスに誘った子には断られた)。そして何よりここで、コンピューターがあれば世界への扉が開く(そして最終的には彼のソフトウェアを使えば、何億人もの扉を開く)ことを発見した。
ゲイツと友人のポール・アレンがどのようにしてマイクロソフトを立ち上げたかは、すでに広く知られた話だ。それこそまさに、1983年春にゲイツを初めてインタビューしたときのテーマだった。そしてわたしは『ハッカーズ』で、当時19歳だったゲイツとアレンが、マイクロコンピューター上で動作するAltair BASICの初版を開発したときの物語を書いた(ほかの人たちも)。
それでも、マイクロソフトの黎明期をゲイツの目から見た物語には多くの発見があった。マイクロソフトの株式を60%握ったあとも、なぜアレンを追い詰めて64対36で納得させたのかをゲイツは説明している。いまとなっては、アレンに悪いことをしたと思っていると言うが、当時はどっちがより多く働いて、意思決定をしていたかを反映した比率だったと振り返る(アレンは自伝『Idea Man: A Memoir by the Cofounder of Microsoft[邦題:ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト アイデア・マンの奇跡と夢]』で、そのときのことをこう記している──「図書館司書の息子と弁護士の息子の差がここではっきりした」)。
ゲイツに会ったのはワシントンD.C.にあるブレークスルー・エナジーの事務所だった。2015年に気候テックに資金援助するためにゲイツがつくった組織だ。かつて1,500万ドル貯めたらどれほどすごいか冗談として語ったわんぱく坊主は69歳になり、世に知られる億万長者となった。家族関係のもつれでメリンダとは別れたが、孫に恵まれた。世界の保健機関から敬意を集める一方で、ワクチン反対論者らおかしな人々からは悪魔呼ばわりされている。何千回ものインタビューを受け慣れているゲイツは、この取材の準備のためにマイクをつけられる間も仏頂面をしていた。だが、幼き日を振り返るうちに、ゆるやかに体を揺らし、軽口を叩くようになっていった。
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──自伝について何十年も考えていたのは知っています。でも、子ども時代についての本を出すなんて思ってもみませんでした。
だいぶ前から準備はしていました。でも初期の人生──マイクロソフトを始めるまでの25年くらい──つまり、両親のこと、生い立ち、わたしが恵まれた幸運といったものを語る本をまとめようと思いついたのは、せいぜい18カ月くらい前のことです。このアイデアを思いついて、すごくワクワクしました。父と母、姉と妹がどんなに素晴らしかったか伝えようとするのは、すごく楽しかったんです。それに、20歳頃までにほかの誰よりもプログラミングにのめり込んでいたこととか。
──まさしくビルドゥングスロマン、成長物語ですね。でも、鏡に自分を映すと、見たくない姿が映ることもあります。
聖母マリアじゃないので、山もあれば谷もありました。友達をハーバードのラボに連れ込んでコンピューターを使ったこともあります。わたしが何をしているのかわからなかったようですが(後にゲイツは大学のコンピューターで商用ソフトウェアを開発したことを咎められた)。マイクロソフトの最初のお客さんはMITS(Micro Instrumentation and Telemetry Systems)で、最後は争いになりました。人間臭い話です。
──確かに、人間臭い物語です。1999年にあなたについての記事を書いたときに、お母さんがあなたの行動にずいぶん悩まされたと、お父さんが話していました。何日も口を聞かなかったとか。著書のなかでも、本当に興味があったのは読書と数学、自分の頭のなかに潜り込むことだと書いています。ある意味、両親に対してやさしい子どもではなかった。それを後悔していると。
わたしという人間をかたちづくってくれた両親には深く感謝しています。父はお手本を示すタイプでした。いつも真剣に仕事に取り組んでいました。母は厳しかった。わたしは期待に応えられないことが多かった。「呼んでもすぐに来ない」とか「食卓でのマナーがなってない」とか、母の要求には際限がありませんでした。最終的にはわたしの功績を認めてくれましたが、母との関係は複雑なものでした。
──ご両親は途方に暮れて、あなたをセラピストのところに連れていったそうですね。本の終わりの方で、もしいまの時代に子どもだったら、自閉症スペクトラム症と診断されていただろうと書いています。どうしてそう思うのですか?
当時、ちょっと変わった子どもには何らかの支援が必要だという考え方は一般的ではありませんでした。わたしは明らかに多動気味だったと思います。集中力はありました。クレッシー博士は両親との葛藤を通じて自分が何をしようとしているのか考えるきっかけを与えてくれました。わたしに何か考えがあったのか、それともただ困らせようとしただけなのか? 博士に会えたことはよかったと思っています。もし何かの診断をされていたら、どうなっていたでしょうね。いまの子ども達は大人の目を逃れられません。わたしはコンピューターセンターに逃げ込んだり、ひとりぼっちで過ごしたり、ハイキングに行くことだってできました。
──あなたと友だち、12歳にもならない子どもたちが、危険な泊まりがけのすごいハイキングに行ったエピソードは信じられない思いで読みました。
いまならGPSで追跡されていますよね。
──本の終わりの方で、自分がどれほど恵まれていたかを認めています。白人男性として有利な立場にあったことや裕福な家庭で育ったこと。でもそれ以上に、ある意味、幸運の星の下にいると。みんながあなたのことを心配してくれて、弁護士のお父さんが何度も法的支援を与えてくれて、先生たちは格別に目をかけてくれた。折に触れて、いつも誰かが支えてくれたと。
はい。本当に恵まれていました。少なくとも5人か6人の先生がわたしのなかに輝くものを見つけて、目をかけてくれました。両親は裕福でしたが、レイクサイド校のほかの子の家に比べたら我が家は平均以下でした。友達の家はもっと大きくて、もっとお金がありました(ポール・アレンの目にはそうは映っていなかったようだ。アレンは自著にこう書いた。「ビルの家族はレイクサイド標準からしても目立っていた(中略)。初めてワシントン湖から1ブロックほど登ったところにあるビルの大きな家に行ったとき、ちょっと圧倒されたことを覚えている」)。わたしはちょっと突っ張っていました。「おい、お前ら、親にクルマを買ってもらって、夏の間もアルバイトしなくてよかったんだろう」みたいな感じで。でも実際にはあれ以上幸せな子ども時代を設計することはできなかったと思います。13歳のときに学校に共有コンピューターが導入されたことも含めて。
──学校では道化役を演じる一方で、あなたの言葉で言うと「鼻もちならないやつ」でもあったと振り返っていますね。
だって、皮肉をうまく使って人と効率的にコミュニケーションする「デキる男子」の手管があるでしょう。おもしろくもなるしね。ハーバードでの人づきあいでわたしが常に使った手です。先延ばしをし、超賢く皮肉たっぷりに相手を論破する。こうした技はすごく役に立つのですが、成長するにつれてこの癖から抜けて、封じるタイミングをわきまえるようになりました。経営者になると、こうした対話方式ではうまくいきません。
──うーん、独占禁止法に絡む裁判での、億万長者のCEOとしてのあなたの法廷陳述を思い出しているのですが、「鼻もちならないガキ」以外の何者でもありませんでした。
そう思ったんですか? あの弁護士のほうが鼻持ちならないやつでしたよ!
──マルコム・グラッドウェルは著書『天才! 成功する人々の法則』のなかで、ある人物がなぜ傑出するか説明できると書いています。そういう人は特殊技能を10,000時間練習する。そしてその事柄に関する専門性を完璧なタイミングで発揮できるのだと。言うまでもなく、あなたはプログラミングに10,000時間費やし、タイミングも正しかった。でも、同じことをした人はほかにもたくさんいます。それなのにビル・ゲイツは唯一無二です。その意味で、ある人はなぜ傑出するのか、その謎をわたしは未だ解くことができません。考えたことはありますか?
状況だけではありません。その要因は大きいですけれどね。わたしと同じ状況にいる子どもは何百万といるでしょう。ただ、わたしは父からビジネスの常識を学びました。キャリアの初期に当時絶賛されていた企業であるDEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション)と関わりをもったとき、社員はわたしを可愛がってくれて、励ましてくれました。そのとき、自分の技能を活かして成功したいという欲求に気付いたのです。友人のケント・エバンスがその決意を固めさせてくれました。
──親友ですね。あなた以上に野心をもって、10代からビジネス誌を読んでいた。彼の17歳での事故死が本書の、そしてあなたの人生の通奏低音として流れています。
ケントのお陰で先見性を身につけました。それからポールがコンピューターチップに詳しくて、わたしに見せてくれました。2年先輩ですが、わたしを見つけ出してくれたのです。
──ポールはLSDの先輩でもありましたね。スティーブ・ジョブスは以前、LSDは自分を成長させ、心を開いてくれたと語っていました。創造性とデザインの役に立ったと。あなたにとっては、クスリがそんな覚醒を生んだような印象を受けませんでした。
スティーブがやった一包はプロダクトデザインとマーケティングにすごい効き目があったのでしょう。あー、その包みがわたしのところに回ってきていたら! そうですね、若いころはバカなこともやりました。ポールに感謝しないといけません。ただ、仕事に没頭するようになる頃には止めていました。
──スピード違反で捕まったときのことも少し書いています。留置場で過ごした一夜は不安でしたか?
いいえ、笑い話です。こんな若者がいいクルマに乗っていることを警察は不審に思ったようです。こいつは何者だ? ヤクの売人か何かなのか、と。
──20代初めに自分の金でポルシェを買ったのですね。
明らかに普通の若者とは違いました。常に手元に十分な現金を置いていたので、ポールが保釈しに来てくれました。
──現金といえば、Netflixのシリーズ「WHAT’S NEXT? ビル・ゲイツと考える未来の展望」で不平等の問題を扱いました。億万長者の存在を否定することなく、もっと平等をと提唱していました。どうすれば、そんなことができますか?
世界経済は大富豪を生みました。わたしのような。ほかにも、おそらく50、60人くらい。イーロン・マスクを筆頭に、ジェフ・ベゾス、マーク・ザッカーバーグ、スティーブ・バルマー、ウォレン・バフェット、マイケル・ブルームバーグら、とてつもない富をもつ人々がいます。それはそれで問題ない。ただ、もっと課税は累進的であっていい。わたしの手もとに残るのが3分の1程度になるくらい。それでも巨万の富です。
──『The New York Times』によると、NVIDIAのCEOジェンスン・フアンは80億ドルの相続税を回避するための節税策を講じているようです。これを読んだとき、「フアンの税理士に相談しよう」と思いましたか? それとも、これは正しくないと言いますか?
いま、生存している誰よりもわたしは税金を払ってきたという確信があります。総額120億ドルを超えています。節税しようと思えば方法はいくつかあります。例えば、保有するマイクロソフト株を担保に借金をして、株を売却しない(借入金には課税されない)といった方法です。合法的に税金を減らしているのなら、それが非難されるのは少し変です。わたしたちは課税システムを変えなければいけないのです。
──彼らのやり方が問題なのは、こうした法律の抜け穴を放置し、内国歳入庁(IRS)予算を削るよう、政治的圧力をかけているからです。
億万長者の票が税制に影響を与えるべきではありません。50人の大富豪のなかには、より累進性の高い税制を支持する人がいます。それなのに、民主党でさえ累進課税をさらに進めることに積極的でないのは驚きです。相続税にも大賛成。素晴らしい制度だと思います。相続税の回避はもっと難しくした方がいい。
──人工知能(AI)の話をしましょう。何年も取り組んできたのに、最近の生成AIの革新的ブレークスルーに即座に飛びつきませんでした。OpenAIがあなたの家でGPT-4のデモンストレーションをして、上級レベル生物学のテストで高スコアを出すまで、乗り気ではありませんでしたよね。当初の疑念の理由は何だったのですか?
コンピューターとの付き合いを通して、AIは常にわたしの頭のなかにありました。いまとなっては的外れですが、マイクロソフトを立ち上げるためにハーバードを後にしたとき、後悔するかもしれないと思ったことのひとつは、わたしがBASICインタプリタを開発している間に大学におけるAI研究がすごい速度で進むかもしれないということでした。杞憂でしたけどね。豊かな方法で知識をコード変換することができて、生物学の教科書を読み込んで上級レベル試験に受かるようなことができるなら、わたしたち自身が知識をどのようにコード変換しているのか明確に理解できると思っていたのです。実際にはそうではなくて、わたしたちが発見したのは、理解できない妙な統計的アルゴリズムでした。どうしてGPTはうまくいくのか? さっぱりわかりません。でも、OpenAIにGPT-4を見せられたとき、極めて重要な一線を超えたことに衝撃を受けました。まだ信頼性の問題は残っていますが、すべて解決できる道筋は見えています。
──OpenAIのCEOであるサム・アルトマンは、数年のうちに人間のように汎用人工知能(AGI)が実現すると言っています。同じ意見ですか?
完全に。
──わたしたちにとって、それは何を意味しますか?
AGIを電気やトラクター、マイクロコンピューターなどと同じように考える人にはわかりません。AGIは人の生産性を上げる補助ではない。人間の能力を超えるものなのです。限界はありません。そして、とても、とても速く進行しています。過去の技術革新を振り返って「OK、すべてうまくできた」というような考えは、AIには当てはまらないのです。
──規制は必要でしょうか?
規制には一定の責任が伴います。質の基準という点で。いま、人々が考えるべき問いは、「進行を遅らせるべきだろうか?」ということです。でも、遅らせる方策を考えるのは極めて難しい。米国で誰かが「よし、規制しよう」と言うたび、こういう声が上がるからです。「ほかの国はどうなの? 中国は?」。問題は、わたしたちには進行を遅らせるメカニズムがないことです。
──AIとともに兵器開発も進んでいます。文字通りAIがコントロールする殺傷兵器の軍拡競争が進行しています。これはいいことだと考えますか?
イーロンがF-35戦闘機について本質的に言ったことを思い出してください。人間を乗せるのは戦闘機の価値を落とすことだと。彼は正しい。つまり「最高の航空兵器をつくりたい」と思ったら、AIこそが最先端なのです。
──新政権との関係はどうですか? 以前のインタビューで、トランプが新型コロナ対策を指揮したアンソニー・ファウチとあなたに、ロバート・ケネディ・ジュニアと会うよう勧めたと話していました。
わたしたちはケネディに会って、ワクチンの安全性について話し合いました。同席したのは4人です。ロバート・ケネディ、フランシス・コリンズ(元国立衛生研究所[NIH]所長)、ファウチ、そしてわたしです。2時間半、議論しました。
──ケネディが保健福祉省長官に指名されたことをよかったと思いますか?
就任するのでしょうか? 彼があれこれ改革する意欲をもっていることに期待する人々はいます。正しい方向に改革するなら、状況はよくなるかもしれません。でもわたしはNIHが現状とてもうまく機能していると思っています。ですからわたしのアドバイスは、耳を傾けてもらえるならば、NIHに大幅な変更は加えないことです。とはいえ、決めるのは彼らです。少なくとも、しばらくは興味深いことになるでしょう。
──反ワクチン論者がワクチン政策を牛耳ることは怖くないですか?
何ともわかりません。過激な発言は出ます。でも、過激なことが実行に移されることはほとんどありません。健康の世界では結果を出さなければならない。人々を健康にしているかどうか? ビル&メリンダ・ゲイツ財団のユニークな視点は、世界中の人々の健康を支援したいということ。貧しい国々の人を含めて。わたしがいちばん心配しているのは、最貧国、とりわけアフリカの最貧国が優先され続けるかどうか。赤字を削減しようとする欲求によって、最貧国への支援を控えなければならなくなる。それが予算のわずか0.5%程度のことだとしても。
──イーロンは無駄な支出だと考えるかもしれません。
わたしは米国とWHO(世界保健機関)との関係を心配しています。新型コロナウイルスが感染爆発したとき、さまざまな人と政治家たちがWHOに対する不満を口にしましたから。議論は大切です。でも、米国がWHOへの資金拠出をやめないことを願っています。健康にまつわる緊急事態や感染爆発を予防する上でWHOは非常に重要な調整機能をもっているのですから。
──トランプ周辺の人々とうまくつきあっていくつもりですか?
合衆国政府ですからね。答えは「イエス」です。
──この本の締めくくりで話をまとめましょう。いまでも、好奇心に突き動かされ、自分の頭のなかで遊ぶ13歳の子どもだったらいいのにと思うことがあると書いています。これだけの成功を収めた後でも、本気であのころに戻りたいと思うのですか?
戻って何かを変えたいと言っているわけではありません。わたしはとても恵まれていました。素晴らしい人生を歩んできました。ただ、何もわからなかったころのドキドキする感覚が懐かしいのです。
「あー、自分たちはこんなにぐちゃぐちゃなのに、ほかの人たちは先に進んでいる」と思ったり、「こんな無茶なことを夢見るなんて、ぼくたちは何様のつもりだ?」と考えた日々がありました。でも、一歩一歩進んで、素晴らしいものをつくり上げたのです。
──人は本当に変わるのでしょうか?
いいえ。節度をもつようになるのだと思います。賢くなって、成長する。でも、わたしは95%、13歳のときと同じ人間です。
(Originally published on wired.com, translated by Akiko Kusaoi, edited by Mamiko Nakano, Erina Anscomb)
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