日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は大河ドラマ「青天を衝(つ)け」ゆかりの城の第3回、「陣屋」です。強固な防衛機能を有した城とは一線を画した、行政機能と居住空間に特化した小藩の藩庁なのですが……。
ドラマの渋沢栄一が屈辱を味わった岡部陣屋
血洗島(現在の埼玉県深谷市)の農家に生まれた渋沢栄一。大河ドラマ「青天を衝け」の序盤では、父の名代として岡部藩庁へ出向き、生涯忘れがたい屈辱を味わった場面が印象的に描かれていた。幕府の権力主義に不信感を募らせ、攘夷思想に傾倒する出来事だった。
このとき栄一が訪れたのは、岡部陣屋(埼玉県深谷市)だ。「陣屋」とは小藩の領主が構えた実質的な城のこと。江戸時代、大名は家格に応じて区分され、城を持てたのはおおむね3万石以上の大名だった。3万石以上が1国以上を領有する「国主(国持大名)」やそれに準じる「准国主」、そして「城主(城持大名)」。3万石以下は、大藩から独立または陣屋から昇格した「城主格」、城ではなく陣屋を構えた「無城(陣屋大名)」に分かれていた。幕末の岡部藩は約2万石の無城大名であったため、城ではなく岡部陣屋を構えて藩庁を置いていたのだ。
明治に入って岡部藩が三河(現在の愛知県)へ移転したこともあり、現在は残念ながら岡部陣屋の名残はほぼない。砲術家の高島秋帆(しゅうはん)が幽閉されたことを示す「高島秋帆幽囚の地」の石碑が建つ程度だ。
行政機構や居住空間に特化 足守陣屋
城と陣屋の違いは、防御機能の差だ。城が高い石垣や広大な堀で防御性を高めているのに対し、陣屋は行政や居住空間のみに特化されていることが多かった。石垣は低く、堀は幅が狭い。どちらかというと区画のための設備といえる。
たとえば、木下家定が関ケ原の戦いの後に2万5000石で足守藩祖となり創設したとされる足守陣屋(岡山市)もその例だ。陣屋を囲む石垣や堀がよく残っているが、横矢はかかっているものの石垣は越えられない高さではなく、堀幅は3メートルほどしかない。


















