徳島でも悼む声、尾崎将司さん死去 「ジャンボより、まっちゃん」
78歳で亡くなったジャンボ尾崎こと、尾崎将司さんを悼む声は、故郷の徳島県南部でも広がった。
1964年春の選抜高校野球大会で、甲子園初出場にして初優勝を飾った海南高のエースで4番だった。
「僕らにとっては、ジャンボっていうより、まっちゃんやね」
同級生で中堅手だった一山稔さん(79)=同郡牟岐町=は懐かしんだ。
部員はわずか14人だったが、郡内から好選手がそろった。
尾崎さんの「一つ上をめざしてがんばっていかんか」という言葉に団結した。
「みんな仲が良かった。一つずつ勝って、あれよあれよという感じだった」
悲報を知った24日は一山さんにとって自身の誕生日。まっちゃんの分も生きると心に誓った。
地元の後輩たちに影響を与えた生き方、プロ意識
尾崎さんの背中を追い、プロ野球の世界に飛び込んだ後輩もいる。
西武やソフトバンク、楽天などでコーチとして活躍した大石友好さん(71)=東京都=だ。小学生のころ、甲子園に初出場した海南高の1回戦・秋田工戦を生観戦して尾崎さんの雄姿にあこがれ、同じ高校に入学した。
「華があった。この試合が僕の人生にとって大きく、野球を志すきっかけになった。徳島海南の名前を誇らしげに言えるのは先輩のおかげ。ずっと英雄。きょうは悲しい日です」
生前の尾崎さんと交流が深かった一人が、海南高の野球部出身で、現在は社会人の伏木海陸運送監督を務める花野巧さん(72)だ。
尾崎さんの弟でプロゴルファ…










































