日本では長年、保育士不足や待機児童問題が深刻な社会課題として取り上げられてきました。現場の負担は増える一方で、保育業回の待遇や環境の改善が進まない状況が続いています。
そんな保育業界の人手不足解消に挑む一人の起業家がいます。プロスノーボーダー、アパレルブランド経営、音楽業界でのディレクター職などを経て起業するという異色の経歴を持つ、株式会社JOYKU(ジョイク)の廻 寿一(まわり・としかず)代表です。廻さんは、「子どもに関わる仕事を、もっと誇れるものにしたい」と語ります。
今回は、育児に関わる実体験を原点に、保育業界の課題に立ち向かう廻さんにお話を伺いました。(取材・執筆:菅堅太)
「保育士が誇りを持って働ける環境を」JOYKU誕生のきっかけ
—— JOYKUでは、どのようなサービスを展開しているのでしょうか?
保育園・幼稚園の人手不足を支援するマッチングプラットフォームを運営しています。“非常勤講師スキルワーカー”と呼ばれる専門講師をアプリでマッチングして、各保育園のニーズに合わせてスポットで働いてもらう仕組みです。
創業してから、1000人以上の園長先生や理事長に話を聞きました。みなさんが口を揃えて言うのが「保育士の業務が多すぎる」ということ。連絡帳や書類はICT(情報通信技術)化されても、子どもと向き合う時間は結局“人の手”でしか担えない。ピアノも英語もダンスも、全部を一人で、あるいは少人数の先生でやるのは無理があります。
こうした保育現場での人材不足の課題や負担を、JOYKUを通じて解消する手助けを行っています。
—— 保育や育児支援の領域に参入しようと思った背景を教えてください。
きっかけは、妻が保育士の資格を取得したことでした。妻は、子どもを育てながら3年かけて独学で資格を取りました。毎日のように教科書を広げ、赤線を引いて勉強している姿を見て、「こんなに努力が必要な仕事なら、きっと待遇も良いのだろう」と思っていました。
でも現実は違いました。保育士の給与は決して高くなく、仕事量も多い。責任は重いのに、報われにくい。そこで初めて、「保育」という仕事の構造的な課題に気づいたのです。
また、当時は待機児童問題が大きく報じられていた時期でもありました。知り合いの保育園を見学したとき、先生一人で20人以上の子どもを見ている現場を目の当たりにして、「これは大変だ」と実感しましたね。
それでも、子どもたちは元気で、保育士さんたちは笑顔を絶やさない。その姿を見て、「この人たちがもっと誇りを持って働ける環境をつくりたい」と思うようになりました。
—— もともと起業しようと考えていたのですか?
はい、いつかは起業しようと決めていました。「自分がフルコミットできることはなんだろう」と考えていましたが、何をやるかは決まっていませんでした。だからこそ、「自分が一番時間を使っていること」に目を向けたのです。
当時は3人の子どもを育てていて、日常のほとんどが“子育て”でした。「自分の人生の中心にあるものを仕事にできたら」と考えたとき、自然と保育や育児が頭に浮かびました。だから、JOYKUはビジネスアイデアというより、家族の暮らしから生まれた“リアルな実感”だったのです。
「スノーボードから音楽業界、そして保育業界へ」異色のキャリアが育んだ視点
——これまでのキャリアの流れを教えてください。
最初はスノーボードのプロとして活動しており、引退後は仲間と一緒にウィンタースポーツのアパレル事業を始めました。自分たちが滑っている映像を撮影・編集して、ムラサキスポーツなどの店頭で流してもらったりしていました。まさに“自分たちで作って売る”というD2Cの走りみたいなことをしていたのです。
このとき学んだのは、「ものを届けるには、情熱と現場感が必要だ」ということ。信頼を積み重ねていく感覚は、今の仕事にもつながっています。
—— その後、音楽業界に転職されたのですよね。
そうです。エイベックス・グループに入り、アーティストのA&R(アーティスト&レパートリー)やディレクターを担当しました。また、エイベックスグループ直営のダンススクールの立ち上げにも関わっていました。
3歳から30歳まで通えるスクールで、みんなが本気で夢を追っていました。「好きなことを仕事にする」人たちを近くで見てきたことで、人が生き生きと働く姿の本質を感じました。
人材育成やマネジメントの感覚も、この頃に身につきました。人の可能性を引き出すには、まず「環境」を整えることが何より大事。保育もまったく同じです。子どもも保育士も、安心してチャレンジできる環境さえあれば、自然と力を発揮できます。エイベックス時代の経験が、僕の経営の根っこにあると思います。
「移動型託児サービスからのスタート」夫婦二人三脚で始めた挑戦
—— 2014年にJOYKUを起業した当初は、どんな事業を展開していたのですか?
最初は“移動型託児サービス”をやっていました。イベント会場や講演会、コンサートなどの一角にキッズスペースを設けて、保育士が面倒をみる仕組みです。僕と妻が営業をして、お子さんを預かって……という、完全に二人三脚でしたね。
ただ、始めた当初は大変でした。主催者からは「託児スペースを設けてもチケットは増えない」と言われることも多く、なかなか理解を得られませんでした。でも、親御さんたちからは「託児があれば行けるのに」という声がたくさん届き、社会の中に「イベントに行きたくても行けない人」がこんなにいるのかと、衝撃を受けました。
—— 自身で保育園も運営されたと伺いました。
2021年にさいたま市内で『習い事保育園』を立ち上げましたが、ちょうどコロナ禍と重なり苦戦しました。認可外保育園だったこともあり、支援制度の対象外で苦労も多かったのです。それでも、保育園の現場を体験できたことが今につながっています。
—— その経験は、今の事業にどう生きていますか?
保育の現場では、保育士の採用の難しさ、人間関係の機微、保護者の期待など、机の上で考えているだけでは分からないことが山ほどあります。だからこそ、今のJOYKUは「現場の言葉」から作られています。
どんなにテクノロジーが進んでも、人と人の関係を大事にする姿勢だけは変えたくないですね。
「非常勤講師スキルワーカー」で保育現場を支える
—— JOYKUで展開している「非常勤講師スキルワーカー」という仕組みは、どんな効果を生んでいるのでしょうか。
例えば、ダンスなら現役のバックダンサーや指導経験者が教えています。エイベックス時代のネットワークを生かして、質の高い講師が多く参加してくれています。
子どもたちが音に合わせて体を動かす姿を見ると、「可能性って無限だな」と感じます。運動神経やリズム感だけじゃなく、観察力や集中力も育まれる。体験が、そのまま成長のきっかけになるのです。
—— この仕組みは、働く側にも影響を与えていると感じますか?
そうですね。非常勤講師の多くは30~50代のダンサーやアスリートです。かつて第一線で活躍していたけど、結婚や出産を機に現場を離れた人たちが、午前中の1時間だけ保育園で教えるといった稼動ができます。スキルを活かしながら家庭とも両立できる、新しい働き方です。
—— 保育士の働き方も変わりつつあるのでしょうか。
変わり始めていますね。資格を持ちながら現場を離れている「潜在保育士」は全国で100万人以上いると言われています。その人たちが「週に1回だけ」「午前中だけ」でも働けるようにする。それだけで、保育の世界はずっと明るくなると思います。JOYKUは、そうした“余白のある働き方”を広げたいのです。
「機会格差をなくす」――JOYKUが目指す未来
—— 今後、JOYKUとして目指しているビジョンを教えてください。
子どもたちに、より多くの体験を届けたいです。
社会には、家庭の事情や経済的な背景によって“やりたいことを諦めざるを得ない”子どもがたくさんいます。スパイクが買えないからサッカーを続けられない、送り迎えができないから習い事に行けないといった事情からです。本人の意思では選べない環境の差が“機会格差”を生んでいます。
家庭の経済状況や地域によって受けられる体験が変わるのは、本来おかしいと思います。保育園で英語やダンス、サッカーを体験できれば、そこから子どもにとっての夢が生まれるかもしれない。その“きっかけ”を作るのがJOYKUの役割だと思っています。だからこそ、僕たちは「すべての子どもに豊かな体験を届ける」ことを軸にしています。
僕らが大切にしているのは「ユーザーファースト」、つまり“子どもを中心に据えること”です。保護者や先生、講師など関わる人は多いですが、すべての起点は子どもたちの体験価値にあります。どんなに仕組みやサービスを拡大しても、「子どもが楽しいか」「成長につながるか」という視点を外さない。そこがJOYKUの一番のこだわりです。
—— 今後の展望について教えてください。
まずは日本での地盤をしっかり固めながら、将来的にはアジアにも事業を広げたいです。タイやベトナム、フィリピンなど、保育や教育に対するニーズが高く、日本文化へのリスペクトを持つ地域は多い。文化や言語は違っても、「体験が子どもを成長させる」という価値は共通です。現地のパートナーと組みながら、子どもを中心に据えた仕組みをアジアでも根付かせていきたいと考えています。
「起業を目指す人へ伝えたい3つのこと」
—— 最後に、これから起業を目指す人へメッセージをお願いします。
一つ目は、「お金の余力を持つこと」です。会社を設立するときに必要になるのはもちろん、理想や情熱だけでは事業は続けられません。「あと3か月あれば事業の状況が変わる」というタイミングが来たときに、資金が尽きたら終わりです。余白を持つことが、挑戦を続ける条件だと思います。
二つ目は、「人間関係を構築すること」。信頼できる仲間やメンターの存在が欠かせません。僕もエイベックス時代の先輩に支えられてきたこともあり、人とのつながりは最大の資産だと考えています。
例えば、イベントを行うような大企業に入っているのであれば、取引先の方とか社内での人間関係だけでなく、さまざまなノウハウを学ぶことができます。独立・起業することになったときにもその繋がりを持っていると、助けられることが多いと思います。
三つ目は、「売る経験をすること」。人に価値を伝えて、お金をいただく。その原体験が、どんなビジネスにも通じると思います。僕自身、人に売って買ってもらう経験を通じて、購買におけるプロセスや、それを買う人の理由を知ることができました。お客様のニーズやトレンドに合わせて柔軟に対応する。そして、最後まで諦めずに向き合って、売り切ることが大事です。営業でも、技術職でも構いません。小さくてもいいから、みなさんも「自分が関わったものを売ってみる」という経験をしてみてください。
BuzzFeed Japan株式会社と朝日放送グループは資本関係にあります。この記事はABCドリームベンチャーズとの共同企画です。
廻寿一さんのプロフィール
株式会社JOYKU(東京都港区)の代表取締役社長。プロスノーボーダーとして活躍した後、ウィンタースポーツ事業を立ち上げ、エイベックス・グループへ参画。テレビ番組制作やアーティスト育成、ダンススクール運営などを経て、2014年にJOYKUを創業。“生活を成長させる”“環境を創出する”を理念に、保育士と保育園をつなぐマッチングサービスやイベント託児など、子どもの育みをサポートする事業を展開。

