当初は「銭婆をやっつけるアクション映画」になる予定だった
実は『千と千尋の神隠し』は当初、宮﨑監督が思い描いていた後半のあらすじは全く違っていました。制作が佳境に入った2000年のゴールデンウィークの頃の出来事をスタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫さんが振り返った証言があります。「別冊コミックボックス『千と千尋の神隠し』千尋の大冒険」(ふゅーじょんぷろだくと)に掲載されたインタビューから要約しましょう。
鈴木さんによると、宮﨑監督が考えていた後半のあらすじは「湯婆婆(ゆばーば)をやっつけた後、背後に彼女のお姉さんの銭婆(ぜにーば)という、すごいヤツがいたことが分かる。こいつをやっつけなきゃ明日は来ないと。それを巡ってのアクション映画」という物でした。
しかし、宮﨑監督と作画監督の安藤雅司さん、美術の武重洋二さんと鈴木さんという中核メンバー4人で話し合いをしたところ、安藤さんから「話は面白いかも知れないけれど、 あと一年という作業時間の中では出来ない」と異論が出ます。
一方、鈴木さんは「宮さんの構想は非常に面白い。ただ、その内容を実現するには3時間は必要」として、それを実現するために「制作期間をもう一年伸ばしませんか」と提案しました。
すると宮﨑監督は「いい加減にしろ、鈴木さん!」「そんなのいやだ!僕は一年で作りたいんだ!」と怒ってしまいました。当初の構想では2時間という枠に収まらないことが明らかになり、4人の間に沈黙が広がりました。そこで、宮﨑監督は一計を案じたそうです。鈴木さんの回想を引きましょう。
「いきなり『じゃあ、カオナシの話にしよう』と言い出したんです。『湯婆婆と銭婆の話はナシ』と。それで、 『これなら2時間で収まる』と新しい構想を語ってくれたんです」
銭婆と千尋が対決するアクション映画も観てみたかった気がしますが、制作スケジュールの大幅な遅れを生じさせない起死回生の一手が「カオナシ」のストーリーの主軸とする新構想だったのです。
「ちょっと出てきて、この映画をまとめてください」宮﨑監督のカオナシへの思いとは?
宮﨑監督自身も、『ジブリの教科書12 千と千尋の神隠し』(文春ジブリ文庫)に掲載されているインタビューの中で当時の出来事を振り返り、「当初考えていた展開部分を全部切り捨てて、それ以外でまとめることにしたんです」と話しています。その中で、脇役だったカオナシを重要キャラとして起用した経緯を以下のように明かしていました。
「本当に単なる脇役だったんです。橋のたもとで立っているところで最初に千尋と出会うんですけど、それは何の予定もなくてただ立たせていただけなんです。橋の上に立っているヤツは一人くらいいるだろうって。でも、映像になって見たら妙に気になるヤツだったんですよね」
「そうなるとこっちも『アイツはなんであそこに立っているんだろう』って考え始めるんですよね。『アイツ、油屋に入ればいいのにね』とか『友達が来るのを待っているのかな』とかね。そうするうちに『あれ、使えるかもしれないな』となったわけです。極端な話、突然に役割を与えて『あなたは何者ですか?ちょっと出てきて、この映画をまとめてください』ってお願いした感じですよ。だから実際、本当に『ああ、出しておいて良かった』って思いましたね(笑)。こうして、結果的にカオナシという人物が出てきちゃったんですよ」
このインタビュー中の宮﨑監督の「ちょっと出てきて、この映画をまとめてください」という表現も面白いですね。実は登場させた当初から監督自身もカオナシの存在が気になっていたそうです。
前述の別冊コミックボックスには、『千と千尋の神隠し』の演出助手を担当した宮地昌幸さんの制作日誌が掲載されています。それによると、カオナシを最初に登場させた際から宮﨑監督は「この仮面男は存在感がないのに変に目につくなぁ、気味悪くてオモシロイね」と話していたそうです。
「ちょっと気になるモブ」が映画をまとめる救世主としてスターダムに上り詰める。『千と千尋の神隠し』には、そんなカオナシのシンデレラストーリーが隠されていたのでした。



