ぽっぺんしゃんにょろりんこ

匿名・非追跡型アダルト動画検索エンジンの設計ノート

売れないのは営業が悪い?

こんにちは、にょろりんこのビジネスブログです。

今日はとある中小出版社さんがクライアントだったのですが、久々に修羅場でした。修羅場というか、営業部長は非常に大人な対応をしていたのですが、編集長は……まあポンコツでしたね。

具体的には、今期の業績が悪い。理由は、発行している雑誌の売り上げがイマイチということ。

まあ、それ自体はいいんです。業績が悪いことも、売り上げが落ちることもあります。大事なのは、「事実を正しく認識し、どう立て直すか」を議論すること。

ただ、今日の会議で驚いたのは、編集長のこの一言でした。

「業績が悪いのは、営業が広告を取ってこないからだ。」

……来ましたね、典型的な責任転嫁フレーズ。まあ、実を言うとよくあるシーンなのであんまり驚いてはいないのですが。

いや、もちろんですね。「どんな困難な状況でも、高度な柔軟性をもって臨機応変に対応し、望むべき成果を創出する。それがイケてるビジネスパーソンの仕事だ!」――そう言ってしまえばその通りです。

でも、それって当事者意識ハラスメントですよね。

冷静に因果関係を整理すれば、こうです。

「売れる雑誌だから、クライアントは広告を出す。」

逆は成立しません。

売れない雑誌に広告を出す企業なんて、まず存在しません。だからこの編集長の発言は、因果関係が完全に逆転しているわけです。

ただ、ここで厄介なのは、本人も本当はそれをわかっているのでは?ということ。つまり、自己防衛と責任転嫁なんですよね。「売れないのは自分の編集方針がハズれているから」――本当はそこに原因がある。でも、それを認めると責任を負うことになる。だから、営業に責任を押しつける。

結局、問題の本質は「無責任体質」です。しかもそれが、組織の中で“それっぽく”正当化されてしまうのが怖い。今回の会議でも、最終的には営業部長の責任という形でまとめられていました。

でも、それは違う。だから私は、「因果関係の修正」から始めるつもりです。

ただ、やられっぱなしではあれですね。大人な対応することは確かに必要ですが、○沢○樹のように「やられたらやり返す」、すくなくともやり返せる準備はしておくべくです。

営業部長として、どう反撃するか?

そもそも、こういう場面、あなたの会社にもありませんか?

「営業が悪い」「営業が頑張っていない」「営業がもっと取ってくれば」――言いたい放題の「数字を知らない評論家」タイプの人。

感情的に反論しても、泥試合になるだけ。なので、ここはロジカルに切り返すのが正解です。

まずは、先ほども述べましたが因果関係の整えです。

  • 売れる雑誌だからクライアントが広告を出す
  • 売れない雑誌だからクライアントが離れる

売れない雑誌の広告を取ってくるのは狂気です。「営業が広告を取ってこないから売れない」ではなく、「売れないから、広告が取れない」が正しい。

ここを淡々と指摘します。「編集長、それは因果が逆です」と。

これは反論ではなく事実確認。感情論に持ち込ませないための、ファーストブロックです。

でも、営業がなんとかするビジネスモデルってあるよね?

その上で予想される反論が「営業がなんとかする会社ってあるよね。」という反論です。

はい。それは、確かにあります。ただ、その場合、前提条件がちゃんと整っている必要があります。具体的には以下のようなパターンです。

例えば、P生命やG生命などの外資の保険会社。

これって典型的な、営業(セールスパーソン)がなんとかする、というビジネスモデルです。

なぜかというと、保険というのは統計に裏打ちされた商品なので、商品で差別化というのは困難だからです。

商品で差別化が困難。じゃあどうするか?そうだ、セールスパーソンの人間力で売ろう。という戦略には一定の整合性があります。

このケースなら、営業がポンコツだから業績が悪い、という言い分には一定の理があります。

でも、ここで考えてみたいのですが、P生命やG生命などの外資系保険会社で、人間力で業績を上げている人たち――いわゆる MDRT/COT/TOT のクラスって、どんな待遇を受けていると思いますか?

はっきり言って、日本のサラリーマンとは文字通りケタが違う待遇です。報酬も、裁量も、責任も、全部フルスペック。成果を出せば億単位で稼げる世界。

もちろん、営業が当事者意識を持つことは否定しません。でも、「営業がイケてないから業績が悪い!」と責任転嫁するなら、MDRT/COT/TOT並みの待遇を用意するのが前提条件です。

なぜって?だって、そうしないと――その人が働く理由がないですよね。みんな辞めていくんですよ、そういう会社って。

うちの会社で働きたい人はいくらでもいる!

で、ここからが本題。

「うちの会社で働きたい人はいくらでもいる!」

はい出ました、ポンコツ企業がよく口にする無敵ワード。

じゃあ聞きますけど、御社が“選ばれる理由”を10個言えますか?

家庭的。アットホーム。風通しがいい。

あ~そういうの、いいです。それ、御社の競合B社もまったく同じこと言ってますから。

研修がちゃんとしている、サイコーに成長できる職場だ!

あ~そういうのもいいです。P生命やG生命の研修制度ってすごいです。優秀な人間が集まっていることは否定しませんが、いわゆる「できる使い倒す職場」じゃあありません。

ね。無いでしょ?御社が選ばれる理由。

結局のところ、「営業が悪い」「人が足りない」「みんなの意識が低い」―そうやって他人に原因を探しているうちは、何も変わりません。

市場は、そんな言い訳を待ってはくれない。「選ばれる理由」を持つ者だけが、生き残る。

だからこそ、皆で考えるべきなんです。なぜ、自分たちはこの会社で働くのか。なぜ、この会社が市場に存在する価値があるのか。

責任転嫁をやめ、因果を正しく見つめる。そこからしか、再生は始まりません。

 

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共感なんてしなくていい

こんにちは、にょろりんこのビジネスブログです。

先日のクライアントとの打ち合わせの話なのですが、クライアント企業の社長がこんなことを言っていました。

満面の笑みで「時代はSDGsだよ」と言いながら、「電気代を節約するために、朝早く出社しよう!」。

いやいやいやいや。早朝に出社しても電気はつけますし、空調は入れますよね?それって何の解決にもならないのでは?

ちょっと何を言っているのかわからない――そんなシーンだったわけですが、みなさん、こんな場面に出くわしたらどう思いますか?

※ちなみに、その社長は株主推薦でヘッドハントされてきたサラリーマン社長で、創業者や血縁社長ではありません。

悲しくなるほどの無能を見て共感してはだめ

「他者の話を傾聴し、共感せよ」。ビジネスパーソンの界隈では、訓示のように言われる言葉です。

しかし、「悲しくなるほどの無能」というのは、たしかに存在します。

努力をしていないとか、やる気がないという話ではなく、根本的な根底がズレている人。方向性も、論理も、判断の基準も、すべてが噛み合っていない。

そして、共感力の高い人ほど、そういう人を目の前にすると、怒りよりも先に悲しみがくる。

「この人、本当にどうしようもないな」
「この人、たぶん一生このままなのだろうな」
「誰も本気で止めてあげなかったのだろうな」

そう思ってしまいます。

だからこそ、その瞬間に共感してはいけません、なぜなら、共感とは「理解」ではなく「同化」だから。

悲しい人を見て一緒に悲しくなるのは優しさかもしれません。

でも、無能な人を見て一緒に悲しくなってしまったら、あなたまで無能の渦に巻き込まれてしまう。

社会に生きるいち個人としてのやるべきことは、一緒に沈むことではなく、構造を見抜き、原因を切り分け、再発を防ぐこと。だからこそ、悲しくなるほどの無能を見ても、心を冷やして距離を取る――それが、プロの優しさです。

理解してはいけない領域もある

世の中には、どうしても理解できない行為というものがあります。

理屈を越えて、常識や人間の感情を踏みにじるような行為。

私たちは職業人として、「他者を理解しよう」「相手の立場に立とう」と訓練されてきました。しかし、世界には――理解してはいけない領域がというのも存在します。

例えば、自分の子どもに物乞いをさせる。物乞いをさせるだけならまだしも、稼ぎを増やすために片腕を切り落とす親というのは、実際に存在するのです。

これは極端な例ですが、こういう人を理解しようとしてはいけません。

なぜなら、心のリソースは有限だからです。

こちらが「理解しよう」と思った瞬間、その人の世界に引きずり込まれてしまう。そして、無限に心のリソースを奪われます。

つまり、理解の努力が報われない相手が存在するのです。そんな相手に出会ったら、立ち止まって考えるべきです。

「これは私の理解力が足りないのではなく、理解すべき対象ではないのかもしれない」

先ほどの「悲しくなるほどの無能な人」も同じです。「なぜ、この人は悲しくなるほど無能なのか?」。その理由を理解しようとした瞬間、あなたの心のリソースは無限のブラックホールに吸い込まれます。

傾聴、当事者意識、共感、理解――どれもビジネスの現場では重要なキーワードです。しかし、傾聴してはならない相手、当事者意識を持ってはいけない場面、共感してはいけない人、理解してはいけない領域というものは、確かに存在します。

なぜなら、あなたの心のリソースは有限だから。

共感なんてしなくていい

繰り返しになりますが、あなたの心のリソースは有限です。そして、世の中には、理解しようとすると心のリソースを無限に吸い取ってくる人が、確かに存在します。

では、どうすればいいのでしょうか。

まずは、「傾聴」「当事者意識」「共感」「理解」。こうした言葉を「至上のもの」とする信仰をやめることです。

世の中には、どうしても理解できない人がいます。そして、理解しようとした瞬間、あなたの中の大切な何かを持っていく人もいます。

そういう人に対して、「何が何でも傾聴して、共感して、理解しよう」とするのは間違いです。なぜなら――あなたの心が壊れてしまうから。

このブログの一環したテーマですが、「大切なのは、あなた個人が幸せに生きていくこと」なわけです。この軸を、決してぶらしてはいけません。

もちろん、「生きづらい人が楽しく生きられる社会をつくる」ことは大切です。でも、「生きづらい人と一緒になって生きづらくなる」必要はないです。

確かに、苦しんでいる他者が存在する、という事実を認識することは重要です。しかし、その人と同じ痛みを共有する必要はどこにもありません。

優秀な人ほど、「傾聴」「当事者意識」「共感」「理解」――こういった言葉を「正義」だと信じすぎます。

しかし、理解不能なモンスターに出会った時、それは優しさの仮面をかぶった呪いになるのです。

だからこそ私は言いたい。「共感なんてしなくていい」。

共感よりも、もっと重要なこと、それは、「あなたが壊れずにいられる距離を探す」ことです。それが、優しさを永続させる唯一の方法なわけです。

 

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いざという時に逃げる人、逃げない人

こんにちは、にょろりんこのビジネスブログです。

みなさん、仕事で一番大切なことって、なんだと思いますか?

ちょっと抽象的でしたね。

もう少し具体的に言いましょう。

――周囲からどんな評価を受ける人が「優秀」だと思いますか?

「有能」? うーん、でも有能って具体的にどういう人でしょう?
「誠実」? うーん、それも悪くないけど、どんな行動が“誠実”なんでしょう?

いろんな答えがあると思います。でも、今日、特にお伝えしたいのはこれ。

“いざという時に逃げない人”。

これです。

で、なんでこんな話をするかというと――今日のコンサル先が、まさにそれでした。

いったい誰が悪いのか?

案件としては、人事評価の相談。

でも、掘り下げていくと、問題の本質は評価じゃなくて「責任の所在」だったんです。

その会社さんでの出来事は以下。

開発部が作成したプロダクトを、開発部長が品質管理部のチェックを通さずにクライアントへ提出。結果、不備が発覚してクレーム発生。

で、謝罪に行ったのは――営業部長。

しかも社長曰く、

「営業部がクライアントに渡すわけだから、品質チェックがされていなかったことを確認しなかった営業部長が悪い!」

いやいやいやいや。それ、まさに前回書いた“当事者意識ハラスメント”じゃないですか。

そりゃ、エスパーならね。「もしかして開発部長が、品質管理のチェックをすっ飛ばしてるかも?」なんて第六感が働くのかもしれません。

でも、そんな疑心暗鬼で動かなきゃいけない職場って、スピード感どころか、もう信頼が死んでるんですよ。

もちろん、マニュアルで「営業部とのダブルチェック」なんてルールを作るのも一つの方法です。……でも、それなら「じゃあ品質管理部って何のためにあるの?」という話になりますよね。現実的ではありません。

しかも最悪なのは、この時の製品開発部長のセリフ。

「新製品の販売キャンペーンの責任者は営業部長です。 私は営業部長が、全て把握されてらっしゃると思いました。」

いやいやいやいや。これ、逃げ界の金メダル級です。

“思いました”じゃない、“確認しました”でしょ。
“営業部長が悪い”じゃない、“あなたが飛ばした”んでしょ。

こういうタイプの人が上にいると、組織のスピードは落ち、責任は宙に浮き、最後に謝るのはいつも、現場です。

いざという時に逃げる人

先ほども書きましたが、ビジネスで一番ダメな人は、いざという時に逃げる人です。

なぜか?それは、上手くいくときは誰がやっても上手くいくからです。

仕組みが整っていて、顧客も満足していて、予算も潤沢。そんな時期は、誰でもリーダーの顔ができます。でも、本当に差が出るのは、何かがズレた瞬間です。

想定外が起きたとき、トラブルが発生したとき、具体的な解決策を用意できず、誰の責任か?に終始し手が止まる人は無能ですよね?

そして、そういうピンチな時に、「どう立て直すか」を考え始め、具体的な次の一手を打ち出せる人は有能ですよね?

結局のところ、「いざという時」って、その人の本性が出る瞬間なんですよ。その本性が「逃げ」の一手だと、物事は進まず、ただただ事態を悪化させます。

ピンチのときこそ、現実を直視し、次の一手を打つ勇気が必要なんです。

トラブル対応の基本は「逃げないこと」

クライアントやカスタマーに迷惑をかけたとき、まずやるべきは、「逃げ」ではなく「謝罪」です。

失敗をゼロにすることはできません。

しかし、失敗を認めて、改善策を実施することで、信頼のリカバリーはできます。

よくSNSの炎上なんかで、「謝罪をすると燃料を投下するだけだから、黙っておけ」みたいな考えの人がいますよね。

ただ、あれってよく見ると、謝罪のポイントがズレていたり、謝罪風の「責任転嫁」だったり。要するに、ちゃんと謝罪していないパターンがほとんどなんです。だから火に油を注いでしまうわけです。

もちろん、二度と戻ってこないつもりなら、寿命まで逃げ続けるでもいいんですよ。でも、社会の中で仕事を続けるなら、「逃げた瞬間に終わる」という現実を、ちゃんと理解しておくべきです。

いざという時に逃げない人、という評価

結局、ビジネスの世界で一番評価されるのは、「いざという時に逃げない人」なんです。

スキルでも肩書でもなく、トラブルに直面したときにどう動くか。その一瞬の行動が、その人の価値を決めます。

よく「ピンチはチャンス」と言われますが、正直、ピンチはピンチだし、ミスはミスです。

しかし、ミスは誰にでも起こる以上、そのミスとどう向き合うかが重要になってきます。

逃げない人は、失敗を経験に変える。逃げる人は、失敗を繰り返す。「有能」の定義って、実はそこに尽きるんですよ。

もちろん、ミスやトラブルを率先して起こしてはいけません。でも、「いざという時に逃げない人」という評価は、あなたのキャリアサバイブにおいて、思いのほか強いカードとして君臨します。

ではまた。

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責任なき権限を振りかざす人

こんにちは、にょろりんこのビジネスブログです。

今日も、毎回トラブルの起きるある顧問先の話をしましょう。

もちろん、トラブルが起きるからこそコンサルが入っているわけで、それが私のメシのタネではあるのですが――さすがにマッチポンプはしたくないので、今日も解決に向けて頑張っています。

今日のテーマはズバリ、「責任なき権限を振りかざす人をどう扱うか?」

貴方の職場にもいませんか?

会議や社内で、自分の責任範囲外のことに首を突っ込んで、あれこれ言って、ガンガン決めていく“台風みたいな人”。

もちろん、決めた内容が有意義ならいいんですよ。でも、たいていの場合――それはアンチパターンにすらなっていない、ほぼ脊髄反射レベルの「思いつき」です。

本来なら、然るべき立場の人が「めっ!」と言うべきなのですが、そこは大人対大人、なかなか「めっ!」とは言えないものです。

責任なき権限を振りかざす人

こういう人って、何が問題か?というと、まず責任を取らないことです。

もし過去に、自分の行動に本気で責任を取った経験があるなら、自然と「どんな判断がどんな結果を生むか?」を想像するようになります。

でも、責任を取ったことがない人は、どんなミスも“誰かが片づけてくれるもの”だと思っている。だから、いつまでたっても周囲をぐちゃぐちゃにかき回し続けるんです。

しかも、これが本当にタチが悪いのは――成長しないこと。

成長って、思いついて、実行して、検証して、成功したり失敗したり、その繰り返しでようやく身についていくものです。ところが、こういう人は「言うだけ」で終わる。

つまり、思いつきのフェーズから永遠に進歩しない。

「やってみたらどうなるか?」の想像力も、「それをやるにはどれだけコストがかかるか?」の感覚もない。だから、社会人なのに、まるで成長がない。

何か言えば、誰かが右往左往して何とかしてくれる。――そんな環境がずっと続いてきたから、本人にとってはそれが“普通”なんです。

そして、本人は気づいていません。

責任なき権限って、最高に快適なんですよ。何を言っても怒られない。何かを決めても、そんなもの世の中には到底だせるレベルのものではないから、自分の見ていないところで大人がこっそり修正する。結果的に成功する(したように見える)

結果、本人の中では「自分はできる人だ!」と錯覚する。でも現実には、責任感を持って動く人たちの時間とエネルギーを吸い取る存在になっている。

コンサルとして見ていると、この手の人が一番厄介なのは、能力が低いことでも、態度が悪いことでもありません。成長に取り残されているところです。

失敗しても傷つかない。周りが修復してくれるから、肌感覚が育たない、問題に対する解像度が低い。

だから学ばないし、変わらない。周りが成長しているのに、ずっと同じ場所で嵐を起こし続けている。

責任なき権限を振りかざす人の末路

前述の通り、責任なき権限を振りかざす人には成長がありません。そして、成長が止まれば、いずれ能力が組織が求めている水準に追いつかなくなる。

責任を取らない人は、失敗を検証しない。検証しないから、改善がない。改善がないから、同じミスを繰り返す。そのあいだに、周囲は着実に経験値を積み上げていく。結果として――気づけば、本人だけが取り残されている。

最初のうちは、勢いと声の大きさで通用します。

でも、周囲が成長していくにつれ、「内容が浅い」「方向性がズレている」と感じられるようになる。

それでも本人は、相変わらず自信満々。「私が言った通りだ!」と胸を張りながら、誰も相手にしていない会議で空回りしている。

コンサル的に言えば、これは“能力の自然淘汰”です。

責任を取らない人は、短期的には自分の思う通りにできても、長期的には自分の市場価値を削っていく。失敗の痛みを避け続けた代償として、成長の機会ごと放棄してしまうからです。

そして最終的に、周囲のレベルが上がるにつれ、本人の「無益」が露呈していく。しかし、本人は「無益」に気が付いていない。

こうして、責任なき権限を振りかざした人は、誰にも頼られず、相談もされず、組織の中で静かに取り残されていく。

派手な破滅ではなく、ゆるやかにフェードアウトしていく――それがそういう人達の、いちばん現実的で残酷な末路です。

成長しない人に社会はとことん厳しい

結局のところ、責任を取らない人には成長がありません。それは職場でも、人生でも同じです。

「責任なき権限を振りかざす人」が置いて行かれるのは、単に人望を失うからではなく、能力が育たないからです。

人生でどれだけ成長できたかは、自分の人生の責任をどれだけ自分で引き受けたかに比例します。

そして気づけば、ゆるやかにフェードアウトしていくんです。最初は職場や学校から、やがては人生から。

社会の評価は、成長しない人(=責任から逃げてきた人)にはとことん厳しい。

「○○さんは、その程度の人だから」――それが、クライアントの冷静な評価でした。

結局のところ、見る人はちゃんと見ています。

派手な自己主張よりも、静かに責任を果たす人の方が、ずっと長く信頼されるんです。

ではまた。

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大人はいちいち指摘しない

こんにちは、にょろりんこのビジネスブログです。

今日の会議は正直やばかったですね。とある会社さんの会議に参加させていただいたのですが、専務?と思しき方の発言が……守秘義務なので詳細は言えませんが、とにかくピントがずれている。Aの話をしているのに、Bの話を持ち出す感じ。

もちろん、Aの話をしている時にBの話をするのがダメかというと、そういうこともありません。

高位のディシジョンメーカーの会議というのは、一見関係なさそうな話題が、実は本質的・有機的につながっていることが多い。深い部分で問題の根っこをとらえているからこそ、遠回りに見える話も意味を持つわけです。

しかし今日の会議は違った。ただ浅い。そしてピントがずれている。深みに潜るどころか、水面をちゃぷちゃぷしているだけ。会議の濃度が一気に下がりっぱなしでした。

あとでこっそり聞いたのですが、その専務?は毎回そんな感じらしいのです。これはかなり深刻な問題です。なぜなら、その会社はとても“大人な会社”だから。

コンサルとして「何かやりましょうか?」と聞いたところ、「いえ、何もしなくて大丈夫です」との返答。
まあ、そりゃそうですよね。大人は、いちいち「間違い」や「底の浅さ」を指摘しません。だからこそ、自分で気づかないといけないのです。

では、大人な会議に幼稚な人が混じったらどうなるか?誰も指摘しないので、幼稚さだけがどんどん肥大化していく。

リップを塗るティアラ

大人はいちいち指摘しない

当たり前ですが、大人はいちいち指摘しません。

会議でどんなに的外れなことを言おうが、底の浅いことをドヤ顔で言おうが、誰も「それ間違ってますよ」とは言わない。

なぜなら――ダサいからです。

大人は人前で「それ違いますよ」と突っ込むような真似はしません。失礼ですし、そもそも指摘というのは先生が生徒に行うもの。対等な大人同士でやれば、単なるマナー違反です。

そしてさらに重要なのは、指摘するというのは相手のフィールドに降りること。つまり相手と同じレベルに立つことであり、要するに自分の格下げに他なりません。

例えば、あなたが上場企業の創業社長だとして、Twitterで会社の公式アカウントに的外れなクレームが入ったとします。社長自ら「それは間違ってますよ」と諭しますか?普通は黙殺ですよね。いちいち相手をしていたら格は下がり、時間は奪われ、会社にも何のプラスにもなりません。

それと同じです。大人はいちいち指摘しない。自分で気づけ。それが大人の世界の共通ルールなのです。

透明人間になる専務

ここからは、正直、会議を見ていて辛かったです。

大人の世界で、発言の濃度が低い──低いだけならまだしも、完全に明後日の方向を向いた意見を言っている。しかし大人なので、誰も「それは違いますよ」とは言いません。

結果、その場にいる全員が「なかったこと」として扱い、発言者は徐々に透明人間化していきます。

なぜなら、重要な意思決定をする場でノイズを出す人の相手をするのは、ただの時間の無駄だからです。専務?という立場にありながら、その場ではツイッターでウザがらみするカスハラクレーマーと同じ扱いを受けていました。

いや、いいんですよ。飲み屋でおじさんが政治に不平不満を言い合う。それはそれで楽しい談義です。

でも、それって何の意味もない。具体的なネクストアクションに貢献しない発言は、どれだけ肩書きがあっても“飲み屋の与太話”と同じ評価しかされないのです。

自分で気が付かなくてはいけない

大人の世界は誰も指摘してくれません。

指摘してくれることはありがたいのか?──私はそうは思いません。

繰り返しかもしれませんが、大人の世界で絶対にNGなのは「マウント取り」です。

人前云々に関わらず「それは違いますよ」と指摘する行為はマウント取りと誤解されうる行為です。これは即死級のリスクです。にもかかわらず、そのリスクを冒してまで指摘する人がいるとすれば、それは「リスク管理のできない人」です。

「必要なことなので、リスクを冒してまで言った」なんて美談にする人もいますが、実際はただの自己陶酔でしかありません。

だから、大人は自分で気が付かなくてはいけない。

なぜなら、指摘してくれる人は「リスクリターンの勘定ができない=大したことない人」だからです。

本当の大人は、黙ってスルーする。だからこそ怖いのです。

市場は黙って結果だけを出す。

先ほどの話で「透明人間として扱われる」と書きましたが、透明人間とは結果です。そして、指摘とは過程にすぎません。本来マーケットとは、淡々と結果だけを返してくる場所なのです。

よく「就職活動で100社受けて、100社から機械的なお祈りメールをもらった」とメンタルをやられる人がいますが、それは当然のこと。市場はわざわざ「あなたのここがダメですよ」とは教えてくれません。返ってくるのは結果だけ。

大人の世界では自分で気が付かなくてはならないのです。

会議での発言の濃度が低い、根本的にピントがズレている──これは市場で言えば「100社からお祈りメールをもらう」のと同じことです。

誰も「それ違いますよ」とは教えてくれない。ただ、発言はスルーされ、存在ごと透明化していく。

大人の会議では「反論されない=正しい」と勘違いしてはいけませんし「否定をしない優しい社会」と勘違いをしてもいけません。 

反論されないのは優しさではなく、冷酷な淘汰の始まりだからです。

自分の発言や行動が、マーケット(周囲)に求められているレベルに達しているかどうか?は自分で気が付く必要があるわけです。

ではまた。

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なぜ有能パートスタッフは正社員登用に落ちたのか?

こんにちは、にょろりんこのビジネスブログです。

先日はとある会社さんで、こんな相談をうけました。

曰く――
「正社員登用を希望していた有能なパートスタッフが、不合格になった途端、モチベーションがガタ落ちしてしまった。どう扱えばいいのか?」

まあ、よくある話です。

そのパートスタッフさんの担当はデータ入力。確かに、日々の入力作業はそつなくこなし、現場からも「有能」との評価を受けていました。

コーヒーを飲むティアラ

事実として、有能・無能は相対評価である

仕事の世界におけるトラブルのほとんどは「勘違い」から生まれます。

経営がうまくいかないのも、商品が売れないのも、突き詰めれば「マーケットのニーズ」「自社の実力」「競合の力」を勘違いした結果です。

これは孫子の「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と同じで、事実を正しく把握できるかどうかが勝敗を分けます。

今回もまさに同じ構図。
パートスタッフ本人が勘違いしてしまったのは、「有能/無能は絶対評価ではなく、相対評価で決まる」という点です。

本質はここにある

彼女が有能であるのは、あくまで 「時給1200円のデータ入力スタッフとして」 有能だということです。

しかし、彼女が希望する 「データサイエンティスト」「データマーケティング職」 として見れば、まだまだ未熟。

この事実に自分で気づけなかった、見誤ったことが、モチベーション低下の根本原因でした。

もちろんここは推測も含みます。ただ、おそらく彼女自身は「自分は有能だ」と思い込んでいた。しかし実際には(データサイエンティストとしては)無能=未熟であるという評価を突きつけられ、モチベーションが下がった──これは遠からず本質に近いと考えます。

そして、その前提に立つと、(事実を突きつけられて)(しかも社内で周囲に見えるような形で)ふてくされた態度を取ってしまったことは、やはり人間として未熟。そういう態度自体もまた「データサイエンティスト職として採用しなかった」という人事評価の妥当性を裏付けている、と言えるでしょう。

成長が止まる

ここまでなら「まあ、そういう人もいるよね」で終わる話です。

しかし、このブログの全体のテーマは 「仕事を通じて人が成長していくこと」。

勘違いの本当の問題は何か?それは、成長が止まってしまうことです。

「自分はすでに有能だ」と思い込んだ瞬間、人は新しい挑戦をやめてしまいます。

「もっと上を目指すには未熟だ」という正しい自己評価(謙虚さ)があるからこそ、人は学び、行動し、成長していくのです。

彼女が有能と評価されているのは、あくまで相対評価。**「時給1200円のデータ入力スタッフとしては有能」**という評価にすぎません。

しかし、その「有能」という評価に満足し、歩みを止めてしまったらどうでしょうか。

社会も会社も日々成長し、基準は絶えず引き上げられていきます。

昨日までは有能とされていたスキルも、明日には「当たり前」とみなされ、やがては「それしかできない人=相対的に無能」と評価されるのです。

成長を止めるということは、現状維持ではなく、実際には緩やかな退化を意味します。

有能な人とは自分の未熟さに気が付く人

有能か無能かは相対評価だと述べました。

しかし、もし唯一「絶対的」と呼べる評価があるとすれば、それは 自分自身の未熟さに気づけるかどうか です。

自分の力を過大評価する人は、そこで成長が止まります。

逆に「まだ足りない」「もっと伸ばせる」と認識できる人は、常に学び続け、成長を積み重ねることができます。

つまり、自分の未熟さに気づけること自体が、有能さの証明なのです。

上司の役割は「未熟さ」を気づかせること

部下が「自分は有能だ」と勘違いしたままでいれば、成長は止まってしまいます。だからこそ、その誤解を正し、正しい基準を提示するのは上司の大事な役割です。

評価の基準を知っているのは、本人ではなく組織やマネージャー側。「今の時給1200円の仕事としては有能。しかし正社員基準ではまだ不足している」
こうした事実をフィードバックすることで、本人は初めて「自分はまだ未熟だ」と気づき、次の成長に向けて動き出せます。

逆に、それを伝えないまま放置してしまえば、部下は「自分は有能なのに評価されない」と不満を募らせ、モチベーションを失い、組織にとっても本人にとっても不幸な結果を招きます。

上司は市場の代弁者であるべき

経営者は市場からのフィードバックを直接受けて、自分の有能・無能を突きつけられます。
では社員はどうでしょうか?社員は直接「市場」と対峙することは少なく、多くは社内の役割をこなしています。

だからこそ、上司は市場の代弁者である必要があるのです。

市場が求めている基準を組織に落とし込み、「このレベルではまだ足りない」「次の給与水準を得たいなら、これこれが不足している」と伝えること。
それが上司に求められる重要な役割です。

上司の言葉は単なる社内評価ではなく、市場基準の翻訳であるべきなのです。

社内評価と市場評価を一致させるべき

だからこそ、本来、評価は「市場にどれだけ価値を提供できたか」で決まるべきです。ところが現実には、社内評価と市場評価が大きくズレてしまうことがあります。

たとえば日本の官僚組織。

もちろん全部が全部そうではありませんが、しょっちゅう問題になるのが「社会全体の利益」よりも「自分の省庁の既得権益や縄張り」を優先してしまう構図です。

つまり、省の論理で見れば「有能な人材」でも、国民から見れば「世の中のために働いていない=無能」と評価されてしまう現象です。

これは民間企業でも同じことが言えます。

社内政治をうまく立ち回ることで「社内では有能」と評価されても、実際の市場価値を生んでいなければ、その人は社外から見れば「無能」と見なされます。

だからこそ、社内評価と市場評価をできる限り一致させる努力が必要なのです。社員にとっても、組織にとっても、そして社会全体にとっても。

最後に少し弁護をすると

ここまで厳しいこと(単なる事実)を書いてきましたが、先ほどのパートスタッフの例を少し弁護しておきましょう。

もしあなたの評価が、社会から見れば有能なのに、社内基準で不当に低く抑えられているのだとしたら――それはあなたのせいではなく、その会社の評価制度やマネジメントの方に問題があります。

市場からの評価と社内基準がズレている会社は、いずれ市場から取り残されます。その場合は、むしろその会社を去ることを前向きに考えてもいいのかもしれません。

ではまた。

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当事者意識ハラスメントに負けるな

こんにちは、にょろりんこのビジネスブログです。

今日はとある会社さんの会議に参加させていただいたのですが、社長が部長にこんなことを言っていました。

「確かに他部署の業務かもしれないが、キミがアンテナを張っておけば防げたはずだ!君は当事者意識が低い!」

――いや~、ズバリ言って、これって 当事者意識ハラスメント ですよね。

もちろん、有能なビジネスパーソンにとって当事者意識は大切です。
無責任に取り組むよりも、「これは自分の責任として、できることは何か?」と考える方が、成長にも成果にもつながります。

だからこそ、この言葉はハラスメントの道具として悪用されやすいんです。

そもそも、当事者意識には限界があります。どんなに高めても、すべての出来事をコントロールすることはできません。

極端に言えば、「世界が悪い方向に進んでいるのはお前の責任だ」と言われるのと同じで、そんなことに責任感を感じる必要はありません。

ただ、仕事に対して責任感のある人にとっては、このセリフが妙に刺さるのも事実です。

「自分の当事者意識が足りないのでは?」と内省してしまうがゆえに、上司や組織にとっては都合のいいコントロールワードとして悪用される――これこそが「当事者意識ハラスメント」なのです。

夕日とティアラ

当事者意識ハラスメントとは

まず、前提としてですが、当事者意識そのものは決して悪いものではありません。

「自分の担当範囲だから」「自分に任された仕事だから」と責任を持って取り組む姿勢は、成果を出すための原動力になりますし、周囲からの信頼にもつながります。

実際、優秀なビジネスパーソンほど「これは自分がやらなければ」という気概を持っています。

しかし問題は、その健全な意識が他人の責任まで背負わせる口実にされてしまう点です。

本来は自分の責任ではないことにも関わらず、「気づけなかったお前の当事者意識が低い」と言われれば、責任感が強い人ほど反論しにくく、結果として 責任の所在がうやむやになる。

つまり「当事者意識」という言葉は、正しく使われれば組織を強くするのに、誤って使われるとただの責任押し付けの道具になってしまうのです。

大雪で遅刻をした

当事者意識ハラスメントの具体的でよくある例として、大雪の話があります。

ようするに、「大雪で電車が止まり、遅刻しました」というケース。普通なら「それは不可抗力だよね」と受け止められるはずです。

ところがここで出てくるのが、当事者意識ハラスメント。

「雪が降ることはわかっていたんだから、もっと早く家を出るべきだろ!」
「社会人ならリスクを見越して行動しろ!」

一見もっともらしい理屈に聞こえますが、これは行き過ぎです。

確かに「リスクを予測して動く」こと自体は大事。でも、このロジックで言えば「夜通し会社の前に泊まり込めば遅刻しなかった」とまで言えてしまう。

そんなの間違っていますよね。

※もちろん、例えば、あなたの仕事が緊急病院の医師で「その時間に病院にいること」自体が何よりも大切な職務であれば、前日に泊まり込むといった対応も必要でしょう。ただ、そうではない普通の仕事であれば、必要以上にリスクを背負い込むのは本質を外しています。

大事なのは、「自分の仕事で本当に成果につながる部分はどこか?」 という視点です。大雪に備えて過剰な時間や労力を使うよりも、到着後に集中して成果を出すことの方がずっと重要なのです。

本質を見誤るな

当事者意識ハラスメントの怖いところは、こうして本来の責任を超えてまで「お前のせいだ」と言われることで、個人も組織も疲弊してしまう点です。

個人にとっては、自分のせいではないことまで背負い込むことでエネルギーを消耗し、本来集中すべき業務に力を割けなくなります。結果として、成果物の質やプロジェクト全体の前進といった本当に大事な成果が損なわれてしまうのです。

仕事において大切なのは、単に「遅刻しない」というピンポイントな姿勢ではなく、総合的なパフォーマンスです。ここを見誤ってはいけません。

さらにこれは組織にとっても同じです。本来の責任者が責任を取らず、「当事者意識」の名の下に押し付けてしまえば、再発防止や仕組み改善は進みません。

仕事の本質は問題解決です。当事者意識ハラスメントは、その場の根性論や責任転嫁にすぎず、再現性ある解決にはつながりません。これでは競合に勝ち、マーケットから共感を得ることは到底できないのです。

台風のせいで年貢が納められない

歴史を例に考えてみましょう。昔の農家が「台風で田んぼが流され、年貢を納められない」と訴えたとします。

本来であれば、これは農民の努力不足ではなく、治水や堤防といったインフラ整備を担う領主の責任です。

ところが領主が「いや、もっと工夫すれば収穫できたはずだ。お前の当事者意識が低い」と責めたとしたらどうでしょうか。

これは現代で言えばまさに「当事者意識ハラスメント」と同じ構造です。

日本の戦国時代を見ても、有能な領主はこの責任分担を理解していました。例えば武田信玄は「信玄堤」と呼ばれる堤防を築き、氾濫を繰り返す釜無川を治めて農業を安定させました。北条氏康もまた、小田原領内で治水や検地に力を注ぎ、領民の生活基盤を守りました。

彼らは「農民の当事者意識が低い」などと責めるのではなく、自らの責任領域を担ったからこそ名君と呼ばれたのです。

反対に、暗君と言われる人たちは、かなりの確率で農民に対して当事者意識ハラスメントをしています。
「不作なのはお前たちの努力が足りないからだ」「もっと工夫すれば年貢は納められたはずだ」と責任を押し付け、自らの治水や政策の不備には向き合わない。

そして歴史が証明しているように、そうした暗君は例外なく国を弱体化させ、やがて滅ぼされています。つまり、当事者意識ハラスメントとは、組織を蝕み、最終的には滅亡へと導く毒そのものなのです。

線を引くライン

では、健全な当事者意識と、当事者意識ハラスメントの押し付けをどう区別すればよいのでしょうか。

答えはシンプルで、「責任」と「権限」がセットになっているかどうか」 です。

自分に権限がある範囲であれば、当事者意識を持って全力で取り組むのは正しい姿勢です。しかし、権限のない領域――たとえば他部署の専門的なオペレーションや、物理的に制御できない天候など――にまで責任を背負い込むのは間違いです。

もう一つの基準は、「それを自分がやることで、本来の仕事の成果が高まるかどうか」。成果を前進させるならやるべきですが、集中を削いでしまうなら、それは背負い込むべきでない責任です。

つまり当事者意識は、やみくもに高めればよいのではなく、自分の責任範囲と成果への寄与を踏まえて適正に線を引くことが大切なのです。

ではまた。

 

 

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