2025-12-22

■ 『上級国民/下級国民から6年。リベラルへの反動ポピュリズム

2019年橘玲が『上級国民/下級国民』を出したとき、俺たちはまだ「知識社会化・リベラル化・グローバル化」という流れが不可避だと思っていた。

でもそれから6年。コロナ物価高、政治不信を経て、**リベラル理想のものが「敵」として見られ始めている**。

今、目の前で起きているのは単なる格差拡大じゃない。**「リベラルエリートvs普通の人々」という新しい分断**だ。

2010年代まで:「自由で開かれた知識社会」への信仰 **

2010年代、俺たちが信じていたのはこういう物語だった。

橘の『上級国民/下級国民』は、その理想の裏側で進行する**「上級」と「下級」への静かな分断**を描いた本だった。

でも、この本が前提にしていた「リベラル化の進行」という大前提が、2020年代に入って揺らぎ始める。 <h3>o- **</h3>

2020年代前半:前提が崩れた **
コロナ可視化した「画面越し組vs現場組」

2020年コロナ禍は、「誰がリモートで働けるか」をあからさまにした。


この分断は、橘が描いた「知識社会の勝者/敗者」をリアルタイム演出する舞台装置になった。

物価高が直撃した「中間層意識

2022年以降の物価高は、エネルギー食料品を中心に中間層生活を圧迫した。

統計上も、**所得分布全体が下方にシフト**し、「生活が苦しい」と答える層が増加している。

「真面目に働けば中流」という物語は完全に終わった。 <h3>o- **</h3>

リベラル理想が「プレッシャー」に変わった **

そしてここからが本題だ。

2010年代まで、「自分らしく生きる」「多様性尊重する」というリベラル価値観は、多くの人にとって**「解放約束」**だった。

でも、低成長と格差固定化が続く中で、それらの言葉は次第に別の意味を持ち始める。


リベラル価値は、「解放」ではなく「規範」になってしまった。**
<h3>o- **</h3>
◆ 「リベラル上級」という新しい敵 **

さらに、ネット上で可視化されたのは、**「リベラルを名乗る人たちの不寛容さ」**だった。


こうして、「リベラル=寛容」というイメージ崩壊し、**「リベラルマウント取ってくるエリート」**という新しいイメージに置き換わった。 <h3>o- **</h3>

データが示す「エリートへの不信」 **

政治意識調査を見ると、この変化は数字にもはっきり出ている。


もはや、「リベラル保守か」ではなく、**「誰も自分たちを見ていない」という疎外感**こそが核心になっている。 <h3>o- **</h3>

ポピュリズムは「感情の出口」として選ばれている **

この土壌の上で、ポピュリズムが再び息を吹き返す。

ポピュリズムとは、「純粋民衆 vs 腐敗したエリート」という単純な対立構造を描き、**政治家メディアリベラル知識人をまとめて「敵」に仕立てる言説**だ。

重要なのは、多くの人がポピュリズムを**「強固な右派イデオロギー」として選んでいるわけではない**という点。

それはむしろ、**「リベラル保守も信用できない」「生活感覚無視され続けてきた」という怒りの出口**として選ばれている。

からこそ、政策整合性より、**「はっきりものを言う」「既得権を叩いてくれそう」というスタイル**が支持される。 <h3>o- **</h3>

◆ 「上級国民」の意味も変わった **

この視点から見直すと、「上級国民/下級国民」というラベルも変質しているように見える。

2010年代まで、この言葉は主に**「事故を起こしても逮捕されない高齢官僚」**など、古典的既得権層への怒りを表していた。

しか2020年代には、**リベラル知識人都市部専門職さらにはSDGs多様性を掲げる企業メディア**までもが「上級国民」として揶揄されるようになった。

「リベラル知識人」はなぜ嫌われるのか?ノーベル賞作家が暴いた欺瞞とは | ニュースな本 | ダイヤモンド・オンライン

上級国民」という蔑称は、「リベラルエリート」への嫌悪と結びついた。**
<h3>o- **</h3>
2010年代モデルに「2行」を書き足す **

こうした変化を精神史としてまとめるなら、2010年代までの「リベラル知識社会の内側に生じる上級/下級の分断」に、**次の2行を付け足す必要がある**。

1. リベラル理想のものへの疲れと反発**

自由平等多様性自分らしさ——これらは本来、多くの人を解放するはずの言葉だった。

だが、低成長と格差固定化が続く状況では、それらは**「達成できない理想」「できない自分を責める基準」**として働き、自分現実否定する言葉に変わっていった。

2. 「エリート vs みんな」というポピュリズム感情構造**

上級/下級という枠組みは、いまや収入学歴だけでなく、**「どちら側の言葉を話しているか」「どちら側の世界観を信じているか」**を区別する境界線にもなりつつある。

リベラル言葉を使う側は、自覚の有無にかかわらず「上級国民」として見られ、

それに違和感や怒りを覚える側は、**「自分たちを侮辱してきた世界」そのものから距離を取り、簡単感情に寄り添ってくれる語りへと引き寄せられていく。** <h3>o- **</h3>

◆ 「最新版精神史」を書くということ **

この2行が付け加わったとき、「上級/下級国民」という図式は、

であるだけでなく、

としても読み替えられる。 <h3>o- **</h3>

その意味で、「最新版精神史」を書くとは、

リベラル理想を前提にした時代の終わり**と、
その残骼の上で人々が選び直している新しい物語——「エリートに裏切られた普通の人々」という自己像**を、

どう捕らえ直すかを問う作業でもある。 <h3>o- **</h3>

  • 弱者男性だが、読み辛いけどお前より現状を認識できてるリベラルは存在しなさそうだな 重要なのは、多くの人がポピュリズムを**「強固な右派イデオロギー」として選んでいるわけ...

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