先日、音楽批評ユニット「LL教室」として美学校で平成J-POP史の講義を行ったときのこと。
ありがたいことに、幅広い世代の方々に受講していただき、質疑応答やコメントも活発に飛び交って充実した講義になったのだが、90年代をリアルタイムで過ごしていない方が多く、当時の空気感の話が特に興味を持って聞いてもらえた。
当時の空気感のわかりやすい例として、あの「B'zダサい論争」もトピックに取り上げつつ、いろいろ説明しながらわかってきたのが、音楽が時代遅れになるっていう感覚じたいが、もはや自明ではないんだなということ。
これってたぶん21世紀に入ってからの大きな変化だと思うので、今回はそのあたりをあらためて掘り下げてみたい。
音楽は進化しているのか
若者向けのポップスやロックやR&Bといった、現代に続くポピュラー音楽の基礎が生まれたのがだいたい1950年代。
そこから90年代までは、基本的には前の世代を受け継ぎながらも常に変化し革新されてきた歴史観があり、自分もおおむねそうだと思っている。
ものすごくおおざっぱに10年単位で切ってみるとしたら、だいたいこんな感じ。
第二次大戦後の経済成長やベビーブームを背景に、若者向けポピュラー音楽が産業として勃興した1950年代。
ベトナム戦争や公民権運動を背景に、ポピュラー音楽に文学性や政治性や芸術性が持ち込まれた1960年代。
カウンターカルチャーが産業化され、ジャンルの細分化や高機能化、またそれへの反動などの動きが活発化した1970年代。
テクノロジーの発達や好景気にともない、電子音楽の発達や産業規模の拡大があった1980年代。
前の世代の軽薄さ空虚さを否定し、地に足のついたリアルが追求された1990年代。
90年代までは、音楽批評においてもミュージシャンの自意識やリスナーの感覚においても、ポピュラー音楽には一定のスパンで新陳代謝が必要で、時代遅れになったものは顧みられることはないっていう感覚があった。
新しいものが出てくるときにはいつも、それまでのスタイルを否定して下剋上みたいな感じで登場していたので、当時の音楽雑誌には、「◯◯はもう古い!これからは◯◯だ!」みたいな文句がよく見られる。
具体例として、スネークマンショーの「ストップ・ザ・ニュー・ウェイブ」というネタを紹介したい。
小林克也と伊武雅刀によるユニット、スネークマンショーは、70年代後半からカルト的な人気を博しており、80年のYMOのアルバム『増殖』への参加をきっかけにブレイクし、翌81年にはフルアルバムがリリースされた。
「ストップ・ザ・ニュー・ウェイブ」は、伊武雅刀演じるバンドマンが、招集したメンバーと初めてスタジオに入った様を描いたコント。
凄腕のメンバーが全然リーダーの話を聞かずにジャムってて収拾がつかないっていうやつなんだけど、注目したいのはリーダー伊武雅刀がカマす発言の数々。
「YMOはもう古い」
「もう70年代は終わったんだぞ!」
「オールドウェーブじゃねぇんだ!オレたちはあくまでもニューウェーブ!」
「パンクとニューウェーブはオマエ、全っ然違うんだぞ!」
「80年代を迎えるにあたって、オレたちの使命は!」
誇張はあるにせよ、これが当時のバンドマンが言いそうなことの「あるあるネタ」になっているわけで。
とにかく新しいことをやらねばという、強迫的とでも言うべき価値観がすごい。
それぞれのサバイバル
90年代までは、数十年レベルのキャリアをもつミュージシャンは、みんなスタイルを変えて生き残ってきた。
それが日和った結果の不本意なものだったのか、アーティストとして刺激を感じる方向にみずから行った結果なのか、動機や経緯は人それぞれだろうが、同じスタイルのまま何十年も現役でいられたバンドはほぼ皆無だった。
たとえば、60年代にバッファロー・スプリングフィールドやCSN&Yへ参加するなどしてブレイクし、現在も現役の大御所ニール・ヤング。
一貫してフォークやカントリー・ロックといった土臭い音楽をやってきたイメージがあるけど、80年代にはなんとシンセサイザーやヴォコーダーを入れてテクノ路線に行ったことがあった。
たとえば後にビートルズもカバーした「ツイスト・アンド・シャウト」を1962年に最初にヒットさせた、R&Bの古参グループ、アイズレー・ブラザーズ。
モータウンレコードに所属したソウル期、バンド編成になった70年代のファンク期を経て、83年には『Between The Sheets』というアーバンでアダルトな名盤をリリースする。
また、90年代にはニルヴァーナのブレイクによるいわゆるオルタナ革命があり、それ以前から活動していた古いハードロックバンドはみんな生残りをかけて路線がブレブレになったりした。
詳しくは弊ブログのこの記事を参照。
B'zがダサいとされたのは、そういう空気感がまだまだ強かった90年代のできごとだということを、理解しておいていただきたい。
21世紀の日本では
さっき例に挙げたのはいずれも英米のアーティストだけど、日本においても基本的に状況は同じで、まず10年以上も第一線にいられるバンド自体が90年代まではいなかった(サザンという特例はあるけれど)。
ソロのアーティストだって、細野晴臣や加藤和彦やムッシュかまやつを筆頭に、時代ごとに柔軟にスタイルを変えられる人だけが長いキャリアを築いてきた。
ところが、21世紀に入ってからはというと、特に日本においては、それまでの強迫的な新陳代謝のサイクルが止まってしまったかのように感じる。
たとえば日本を代表するロックバンドであるASIAN KUNG-FU GENERATIONやBUMP OF CHICKENにしても、もはや20年以上のキャリアを誇るわけだが、時代の移り変わりに左右されずにずっと第一線で活躍している。
また、マキシマム ザ ホルモンとか電気グルーヴみたいな、特定の時代に流行したスタイルを背負っているグループがそのままのスタイルでずっと活動できているという状況も、20世紀にはなかった。
新陳代謝が当たり前だとされていた20世紀にはあり得なかったこの状況は、個人的は健全だと思っている。
思えば、20世紀には、どんなに才能があっても、新陳代謝の波に押し流されて時代遅れだとされてしまったアーティストがたくさんいた。
そういったアーティストがレコード会社から契約を切られたり、ライブの動員が激減したりして、活動が続けられなくなったことは、単純にもったいない。
(逆に、新陳代謝の波にうまく乗れただけの時代の徒花とでも言うべき、愛すべき一発屋の存在っていうのもそれはそれでおもしろいんだけど)
現代の音楽シーンでは、新しいトレンドは相変わらず次々に生まれてくるんだけど、それまでのスタイルが否定されることはない。
それまであったものが新鮮味を失ってなんとなく存在感が薄れていくことはあっても、新陳代謝のように一気に上書きしていくようなことはない。
これって、フェスの現場やYouTubeなどのメディア、サブスクのプレイリストなどによって、いろんなアーティストに新旧問わずフラットに出会えるようになっているおかげかもしれない。
20世紀には強固にあった、トレンドの方向性を指し示す音楽雑誌の権威が完全になくなったことで、ひとつの方向にみんなが一斉に動くようなこともなくなったし。
また、無駄に他者を否定しない、先人をリスペクトする、っていう優しい現代人のマナーがそうさせているという側面もあるだろう。
いずれにせよ、スタイルの流行り廃りではなく、自身の実力次第な時代であることは間違いないだろう。

