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終戦間もないころで、核家族などという言葉もなければ、テレビもなく、電気洗濯機の普及にも遠かった時代である。
......こうなるまでには、それだけの理由がなかったわけではない。 二十余年も前に結婚したとき、当然のことながら、私は、母と妻という二人の女にはさまれて暮すことになった。終戦間もないころで、核家族などという言葉もなければ、テレビもなく、電気洗濯機の普及にも遠かった時代である。 母はまだ血気さかんであり、家内また気の強い女であったから、お定まりの〔もめごと〕が起るのは、これまた当然であった。 こうしたとき、一家の主である男は、二人の女......
池波 正太郎「食卓の情景 (新潮文庫)」に収録 amazon関連カテ戦後
(終戦間もなくは)われわれの娯楽といえば、芝居と映画だけの時代だったのである。食べものすら充分でなかった。
......演されたのは、昭和二十六年の夏の演舞場である。当時、終戦間もなくのこととて、劇場に冷房もなく、役者も観客も汗をだらだらながしていたが、それでも連日満員であった。われわれの娯楽といえば、芝居と映画だけの時代だったのである。食べものすら充分でなかった。 そのときの演出は、文化座の故佐々木隆氏におねがいした。私が自分の脚本の演出をするようになったのは昭和三十年からで、そのときのことは、前にもふれておいたけれども......
依然として予測のつかない時代ではあったが、武内は、復興をめざして日本の大地から 湧き起こっている 渦巻くようなエネルギーが、確かに自分の体からも燃えたぎってくる思いに駆られた。
......家や金廻りのいい台湾人や朝鮮人なども、いっせいに自分たちの店を持ち始め、昭和二十四年に入ると、ミナミの街は急激に昔日の面影を甦らせ始めた。 あしたがどうなるか、依然として予測のつかない時代ではあったが、武内は、復興をめざして日本の大地から湧き起こっている渦巻くようなエネルギーが、確かに自分の体からも燃えたぎってくる思いに駆られた。妻と子と、順調に回転し始めた商売を得たことで、その混乱と虚脱と無秩序な時代を、とにもかくにも生き抜いて行くよるべをつかんだのであった。 そのころ、道頓堀や千日前......
宮本 輝「道頓堀川(新潮文庫)」に収録 amazon関連カテ戦後