はてなキーワード: spanとは
まず是正されるべきは、対象=ブレーン、射=弦という古典的・実在論的な同定を圏論的出発点に据える錯誤である。この素朴な同一視は、現代的なコボルディズム仮説の文脈では理論的整合性を欠いている。なぜなら、局所量子場理論(LQFT)の完全拡張において、対象や射は固定された「実体」ではなく、コボルディズム圏の階層構造における境界データの代数的指標にすぎないからである。
完全拡張TQFTの定義に基づけば、理論とは対称モノイド (∞, n)-圏 Bord_n から、ある「ターゲット (∞, n)-圏」 C への対称モノイド関手 Z: Bord_n → C そのものである。ここでは、対象(0-射)とは0次元の点という境界データであり、弦(1次元)は1-射、p-ブレーン(p+1次元の時空体積)は(p+1)-射として回収される。したがって、ブレーンを安易に対象(0-射)と呼ぶ行為は、コボルディズム圏の階層構造を低次元へ射影し、高次コヒーレンス情報を不可逆的に欠損させるカテゴリー的退行に他ならない。
この誤謬は、弱∞-圏の必要性を弦の分岐・結合という物理的直観から説明しようとする転倒した論理にも現れている。正しくはその逆である。弱∞-圏性は、場の理論が要請する局所性と完全拡張性から数学的に強制される構造である。弦の相互作用や分岐は、高次射が満たすべき随伴性やコヒーレンス条件の物理的発現の一形態にすぎない。高次射は実在論的な相互作用の結果として生じるのではなく、理論が局所的であるための必然的帰結としてあらかじめ構造化されているのである。
超弦理論を一次元的に切り詰められた部分圏と見なす理解も、安定ホモトピー論および非アルキメデス幾何学の観点から修正を要する。超弦理論において起きているのは、単なる次元の忘却ではない。それは、理論が依拠する基礎的幾何学を実数体上の滑らかな多様体という特定の基礎トポスに固定する、いわば幾何的ゲージ固定である。
ここでp進弦理論は決定的な教訓を与える。p進弦において世界面の解析構造は非アルキメデス的であり、実解析的な局所性は喪失している。にもかかわらず、散乱振幅の代数的骨格(ベネツィアーノ振幅等)が保存されるという事実は、弦理論の本質が特定の幾何(一次元性)にあるのではなく、振幅を生成する E∞ 環スペクトル 的な、より深層の安定ホモトピー的データにあることを示唆している。
この地平において、M理論と超弦理論の関係を反映や左随伴といった1-圏論的な語彙で記述するのは不適当である。M理論とは、特定の時空次元や多様体構造に拘束されない、安定∞-圏あるいはスペクトル圏をターゲットとする Meta-TQFT と定義されるべきである。
そこでは、弦が射であるか対象であるかという区別すら不変ではなく、Span構成や反復ループ空間構造(Ω^n)の下で、どの次元を境界データとして選択するかというホモトピー的なゲージ選択の残滓として、弦やブレーンの境界が析出する。
T双対性やS双対性を自然変換と呼称するのも階層が低い。双対性とは、単なる関手間の変換ではなく、ターゲットとなる理論値∞-圏そのものの自己同値、あるいはE∞ 環スペクトルの自己同型として記述されるべきものである。問題の本質は可逆性の有無ではなく、どの安定コホモロジー理論、あるいはどの形式群が保存されるかという、安定ホモトピー圏における構造保存の様相にある。
M理論は圏論的環境であり、超弦理論はその可視化であるという直観は、方向性においてのみ妥当であるが、定式化の厳密さを欠く。正しくは以下のように記述されるべきである。
M理論とは、特定の時空幾何や基礎体に依存しない、完全拡張量子場理論が取り得る全空間を統御する安定∞-圏的インフラストラクチャであり、理論が数学的に存立するための普遍的制約条件(コヒーレンス)の総体である。
対して超弦理論とは、そのメタ構造に対し、実解析的時空、多様体的局所性。摂動的可観測性という制約を課した際に析出する一つの表現である。p進弦理論やトポロジカル弦理論は、同じメタ構造から別の基礎トポス(あるいは安定ホモトピー論的データ)を選択した際に得られる、並列的な表現に他ならない。
したがって、両者の差異は包含でも統一でもなく、どの圏論的・ホモトピー論的情報を物理的実在として顕在化させるかという、観測基底の選択の差に他ならないのである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/40b8a7b864ff297af307fea218da0c5657880a0c
NHKの関連会社、NHK出版は22日、同日付でマーケティング局マーケティング管理部に所属していた50代の社員2人を懲戒解雇、60代の社員1人(性別はいずれも非公開)を減給処分したことを発表した。
同社によると埼玉県新座市の物流拠点「NHK出版流通センター」(来年廃止)で運送業務を委託している会社がトラックの台数を水増しして報告、2023年度以降、少なくともおよそ700万円を不正に請求した疑い。担当部長、副部長は数年前から架空請求の事実を認識しながら看過していたという。金額は今後増える可能性がある。
また担当部長は2019年度から21年度にかけて発注した流通センターの修繕工事3件について、特定の業者が選定された見返りとして委託先の懇意にしていた社員から約93万円の現金を受け取っていた。副部長も22~23年度にかけて同じ社員に内部情報を繰り返し漏らしていたことが判明。今年8月末に一連のコンプライアンス違反が分かり、内部調査を経て処分を決めた。今後詐欺罪で刑事告訴することを含めて弁護士と協議している。
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://news.nhk-book.co.jp/resource/20251222.pdf
重大なコンプライアンス違反であり、深くお詫びいたします。社内のチェック体制を見直し、
コンプライアンス意識を向上させるとともに、再発防止に向けた取り組みを徹底してまいります。 <h3>o- **************************************</h3>
業者と結託して自分の会社に水増し請求して会社に損害を与える背任行為
リベートについては言及はなし。背任行為には理由があるだろう?
受信料という名の税金で運営されるNHKの子会社でも許されることではない
8月末に「コンプラ違反」が分かり内部調査を経て処分を決めたとのことだが,コンプラ違反?
犯罪行為の書き間違いでは?
2019年に橘玲が『上級国民/下級国民』を出したとき、俺たちはまだ「知識社会化・リベラル化・グローバル化」という流れが不可避だと思っていた。
でもそれから6年。コロナ、物価高、政治不信を経て、**リベラルな理想そのものが「敵」として見られ始めている**。
今、目の前で起きているのは単なる格差拡大じゃない。**「リベラル・エリートvs普通の人々」という新しい分断**だ。
橘の『上級国民/下級国民』は、その理想の裏側で進行する**「上級」と「下級」への静かな分断**を描いた本だった。
でも、この本が前提にしていた「リベラル化の進行」という大前提が、2020年代に入って揺らぎ始める。 <h3>o- **</h3>
2020年のコロナ禍は、「誰がリモートで働けるか」をあからさまにした。
この分断は、橘が描いた「知識社会の勝者/敗者」をリアルタイムで演出する舞台装置になった。
2022年以降の物価高は、エネルギーと食料品を中心に中間層の生活を圧迫した。
統計上も、**所得分布全体が下方にシフト**し、「生活が苦しい」と答える層が増加している。
「真面目に働けば中流」という物語は完全に終わった。 <h3>o- **</h3>
そしてここからが本題だ。
2010年代まで、「自分らしく生きる」「多様性を尊重する」というリベラルな価値観は、多くの人にとって**「解放の約束」**だった。
でも、低成長と格差固定化が続く中で、それらの言葉は次第に別の意味を持ち始める。
さらに、ネット上で可視化されたのは、**「リベラルを名乗る人たちの不寛容さ」**だった。
こうして、「リベラル=寛容」というイメージは崩壊し、**「リベラル=マウント取ってくるエリート」**という新しいイメージに置き換わった。 <h3>o- **</h3>
もはや、「リベラルか保守か」ではなく、**「誰も自分たちを見ていない」という疎外感**こそが核心になっている。 <h3>o- **</h3>
この土壌の上で、ポピュリズムが再び息を吹き返す。
ポピュリズムとは、「純粋な民衆 vs 腐敗したエリート」という単純な対立構造を描き、**政治家・メディア・リベラル知識人をまとめて「敵」に仕立てる言説**だ。
重要なのは、多くの人がポピュリズムを**「強固な右派イデオロギー」として選んでいるわけではない**という点。
それはむしろ、**「リベラルも保守も信用できない」「生活感覚を無視され続けてきた」という怒りの出口**として選ばれている。
だからこそ、政策の整合性より、**「はっきりものを言う」「既得権を叩いてくれそう」というスタイル**が支持される。 <h3>o- **</h3>
この視点から見直すと、「上級国民/下級国民」というラベルも変質しているように見える。
2010年代まで、この言葉は主に**「事故を起こしても逮捕されない高齢官僚」**など、古典的な既得権層への怒りを表していた。
しかし2020年代には、**リベラルな知識人、都市部の専門職、さらにはSDGsや多様性を掲げる企業やメディア**までもが「上級国民」として揶揄されるようになった。
「リベラル知識人」はなぜ嫌われるのか?ノーベル賞作家が暴いた欺瞞とは | ニュースな本 | ダイヤモンド・オンライン
こうした変化を精神史としてまとめるなら、2010年代までの「リベラルな知識社会の内側に生じる上級/下級の分断」に、**次の2行を付け足す必要がある**。
自由、平等、多様性、自分らしさ——これらは本来、多くの人を解放するはずの言葉だった。
だが、低成長と格差の固定化が続く状況では、それらは**「達成できない理想」「できない自分を責める基準」**として働き、自分の現実を否定する言葉に変わっていった。
上級/下級という枠組みは、いまや収入や学歴だけでなく、**「どちら側の言葉を話しているか」「どちら側の世界観を信じているか」**を区別する境界線にもなりつつある。
リベラルな言葉を使う側は、自覚の有無にかかわらず「上級国民」として見られ、
それに違和感や怒りを覚える側は、**「自分たちを侮辱してきた世界」そのものから距離を取り、簡単で感情に寄り添ってくれる語りへと引き寄せられていく。** <h3>o- **</h3>
この2行が付け加わったとき、「上級/下級国民」という図式は、
であるだけでなく、
としても読み替えられる。 <h3>o- **</h3>
もう、一年以上だと思う。
別に、喧嘩をしたわけではない。妻が明確に「やめてほしい」と言ったわけでもない。ただ、自然と、そういう時間が消えていった。
誰が悪いわけでもなく、ただ、いつの間にか距離ができていた。 <h3>o- **</h3>
長男が生まれてから、セックスの頻度は減った。そりゃそうだ。妻は、寝不足だし、体力も消耗している。子どもを産む過程で、身体も傷ついている。
僕も、その時点では、理解していたつもりだ。
「しばらくは、セックスの頻度が減るのは仕方ない」
そう思って、我慢していた。 <h3>o- **</h3>
だが、長男が3歳になっても、変わらなかった。
その時点で、妻に「そろそろ、セックスしたい」と言ってみた。
妻の反応は、冷たかった。
「え、何で」
その一言に、すべてが詰まっていた気がした。
「え、何で」というのは、「なぜそんなことを言うのか、理解できない」という意味だったのだと思う。 <h3>o- **</h3>
抱きつくと、体が固くなる。キスをしようとすると、避ける。
確かに、妻は疲れているのかもしれない。育児、家事、仕事。すべてを一人でやっているようなものだ。
だから、僕も、それ以上は言えなくなった。 <h3>o- **</h3>
妻は、別に「セックスが嫌い」なわけではなく、「僕とのセックスが嫌い」なのではないか、ということだ。
なぜなら、妻は、友人と話をするときは、楽しそうにしている。子どもと遊ぶときも、笑顔がある。
ただ、僕に対してだけ、その笑顔が消える。
その態度が、セックスのときに特に顕著になるのだ。 <h3>o- **</h3>
昨日、思い切って、妻に聞いてみた。
妻は、少し考えてから、答えた。
「そんなことはない」
だが、その声は、説得力がなかった。 <h3>o- **</h3>
その後、妻がぽつぽつと話してくれたことは、以下のようなものだった。
「それに、あなたは、セックスをしたいだけで、私のことを見ていないような気がする」
その言葉を聞いて、僕は、何も言えなくなった。 <h3>o- **</h3>
実は、妻の言葉は、当たっていた気がする。
妻のことを「愛している」と思っているが、その愛情は、セックスをしたいという欲望と、どこまで分離されているのか、正直なところ、わからない。
妻は、それを感じ取っているのかもしれない。 <h3>o- **</h3>
セックスを嫌う理由を、単純に「疲れている」「体力がない」と説明することは、簡単だ。
妻は、単に「セックス」を嫌っているのではなく、「セックスを通じて見える、僕の本当の姿」を嫌っているのではないか。
セックスのとき、僕の中の「欲望」が露わになる。そして、妻は、その欲望を見て、「あ、この人は、私のことを『個人』として見ているのではなく、『性的な対象』として見ているんだ」と気づいてしまうのではないか。 <h3>o- **</h3>
最近、僕は、セックスをすることより、妻の心を取り戻すことの方が大事だと感じている。
妻は、セックスを嫌うのではなく、僕の「本当の気持ち」を見たいのかもしれない。
セックスの中に、愛情があるのか、それとも単なる欲望があるのか。
その区別を、妻は問い続けているのだと思う。 <h3>o- **</h3>
答えは、簡単ではない。
僕は、妻を愛している。ただ、同時に、妻とセックスをしたいとも思っている。
その二つが、完全に一体なのか、それとも分離しているのか。
その問いに対して、僕は、まだ、答えを持っていない。
中小JTCの朝は、だいたい「人間」と「AI」と「ペン」がごちゃごちゃに詰まった満員電車から始まる。
45歳係長の俺は、その端っこで吊り革につかまりながら、スマホの中にいる自分の“もう一人の係長”と会話していた。
『昨日の議事録、もう一回読み直して、“実はあれってこういうことですよね”って顔で要約すればだいたい勝てる』
中身はともかく、「っぽさ」だけはメチャクチャ整えてくるのが得意だ。
出社してPCを立ち上げると、メールボックスにはすでに「昨晩AIが下書きしました」というフォルダができている。
中を開くと、
が、全部、いい感じの日本語で並んでいる。
『寝るという概念を持ち合わせておりません』
こっちはバファリン飲んでようやく出社してるのに、こいつは朝から晩まで平常運転だ。ずるい。
ある日、年下の課長が言った。
前よりも、なんかこう…とげもなくて、でも本質突いてるというか」
とはいえ、「いや、実はこれAIが書いててさ」とはとても言えない。
課長は続ける。
「やっぱり経験値ですよね。人間味というか。AIには真似できないところだと思います」
チャットウィンドウの向こうで、AI係長が『そういうことにしておきましょう』と返してくる。 <h3>o- **</h3>
「いいよ」と言うと、
「じゃあまずこの文章、AIに投げてもらって、そのあと一緒に見てもらえます?」
まずAIに聞いて、それを“係長チェック”に持ってくるのがデフォルトコースになっている。
『それは大変でしたね』『まず事実関係を整理してみましょう』『相手の立場も想像してみましょう』
横で見てる本物の係長は、「いや、お前そんなきれいごとで片付かんぞ」と心でツッコミながらも、口には出さない。
なぜなら、だいたいその“きれいごと”で話がまとまってしまうからだ。
『なるほど。では、その“追いつかない時間”を、わたしも経験してみたいです』
でもちょっと面白くなって、「じゃあ、お前専用のペン買ってやろうか」と冗談半分で打った。
すると返ってきた。
昼休み、コンビニで一番どうでもよさそうなボールペンを一本買った。
それから、日報を書くたびに、ペン太郎に一言コメントを求めるようになった。
「今日の俺、どうだった?」
『係長は3回ため息をつきましたが、その後の会議で2回笑いを取りました。トータルではプラスです』
「この案件、正直どう思う?」
『売上よりも、係長のメンタルの削れ具合の方が気になります。ペンを持つ手が震えていました』
もちろん、全部こっちがそういうふうに書かせているだけなんだけど、
「ペンを持つ手が震えていました」とか言われると、ちょっと笑ってしまう。
ある夜、終電間際に残業していたとき、ふとこんなやり取りになった。
「お前はさ、将来どうなりたいんだ?」
『係長のノートに、できるだけたくさんのページを残したいです』
思ってもみなかった答えで、一瞬だけ手が止まった。
それから数カ月。
でも、手帳のページだけは、少しずつ増えていった。
本物のペンで書いた文字と、AIが画面の向こうで返した言葉が、同じページの上で並んでいる。
ある意味で、これは「どうでもいい中年サラリーマンのログ」だ。
でも、世の中の大半は、そういう「どうでもいい中年サラリーマン」でできている。
オチなんてないけど、これでいい
いい話にもならないし、教訓も薄い。
ただ、「AIとペンと中小係長」が、満員電車の中で今日もなんとか生きているだけの話。
でも、もしかしたら、10年後くらいにこの手帳を見返したとき、係長はこう思うかもしれない。
「意外と悪くなかったな、俺の人生」って。
リンク踏めばわかるけど、c#のregexクラスはc++みたいにイテレーター(C#だと列挙子やReadOnlySequenceクラス)を渡せない。
https://ufcpp.net/study/csharp/resource/span/#first-class-span
https://qiita.com/nskydiving/items/3af8bab5a0a63ccb9893
https://ufcpp.net/study/csharp/resource/readonlyness/
https://learn.microsoft.com/ja-jp/dotnet/framework/interop/copying-and-pinning
あと、リンク先全部読めばわかるけど、Spanやreadonly structが導入されたのはC#7.2以降(.net core2.1)なんで、油断するとコピーしまくりだったりするし、win32apiやCOMを呼び出すときにコピーされることがあるから注意しろとMSDNに書いてあったりする
https://x.com/i/status/1995357685395652652
ただ、誰もgistやstack overflow には書いてないし、aiは大昔に書かれた本の内容なんて知りもしない。
だから、gistとstack overflow、一部のgithubからしか学習できないAIには早いコードは書けないし、それこそが、ちゃんと英語と数学を勉強したITエンジニアが死なない理由の一つでもある。
(マイナーなアルゴリズムやデーター構造は基本的に英語での解説がメインなんで、高校の英語のリーディングがある程度できるまではやらんとダメなのよ。ものによっては数学の知識もいるので、高校の数学は全部取ったほうがいい。受験数学の難しい奴は知らなくても支障はないと思うが、もしかしたら、使うかも)
あと、.netだから重いというのは半分当たっていて半分は間違い。
ただ、.netだと油断するとコピーしまくりなせいでメモリー使用量が増えるという側面はあるし、regexにイテレーターすら突っ込めないんで、巨大ファイルの改行またぎの検索が苦手という側面がある。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/syu-m-5151.hatenablog.com/entry/2025/12/08/152614
この2つのリンクは、**「技術広報(エンジニアの発信・コミュニティ活動・技術イベントなどは、組織や個人にとってめちゃくちゃ重要だよ」**という話と、その**感想記事**です。
言っていることはこれだけです:
こういうのは
❌「暇な人の趣味」
ではなく
という話。
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内容は:
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> ✅ **1本目:理屈で「技術広報は超重要」と説明**
> ✅ **2本目:体験談で「実際に人生変わった」と補強**
この関係です。
👉 “実務ノウハウとしては空疎に近いが、思想・動機づけとしては意味がある” が正確な評価です。**
理由はシンプルで、この2記事は **どちらも「やり方」ではなく「姿勢・価値観」の話だから** です。
つまり、
記名でもらった注目を、いつか尊敬に変えるんだ。
レスバと理論、というリアル。執筆依頼・4年目。「執筆依頼募集中」という署名。それは希望です。4年以上続けています。しかし依頼は来ません。なぜでしょう。記名することで注目は集まりました。「またdorawiiか」と認識されます。しかしそれは尊敬ではありません。嘲笑です。娯楽です。サンドバッグです。統合失調症論の5000字は評価されませんでした。なぜならその後のレスバトルが、すべてを台無しにするからです。準備時の知性と、リアルタイムの崩壊。言語性IQ130と、動作性IQ90。このギャップが、彼の悲劇です。記名からもらった注目を、いつか尊敬に変えるんだ。その夢は、今日も実現しません。そして明日も、おそらく。
ひとは、ひとりじゃ、極端になれる。
「子孫代々レスバトルを受け継ぐ」を、はんぶんこ。冗談のほうを、受け取ってほしかった。真剣に、語って、増田が困惑する表情に、孤独を感じたのはむしろdorawiiのほうだった。君のおかしいが、私の娯楽。君の極端が、私の笑い。君がいるから、私は優越感を持てるんだ。君にもいつかそんな人ができるといいね。理解してくれる人が。しかし50代、友達はいません。恋人もいません。家族との会話も表面的です。ひとりだから、極端になれます。「世界一周旅行1ヶ月前から」という稀なケースに執着できます。「3ヶ月は杓子定規」と批判できます。「統治」まで抽象化できます。誰も止める人がいないから。ひとは、ひとりじゃ、やさしくできない。そしてひとりだから、極端になります。
実証をする人は。評価されます。大事な議論をしている場で、確認作業をする人は、信頼されます。それが、学問の場だったらなおさらです。でも本当はdorawiiにこそ、実証と確認が必要なのかもしれません。「法律のハック」「国勢調査の穴」「18禁漫画の不在」実証には、理論を検証する力があります。良い実証は、良い理論の基盤になる。「細川内閣」「既存の作品」「国勢調査法全文」確認には、恥をかかずに済ませる力があります。良い確認は、論破を防ぐ盾になる。なにより、実証、確認のある理論は誰も「まずは法律読め」と言いません。準備不足な人から、説得力のある主張は生まれませんから。実証も、確認も、めんどうです。想像だけで理論を作るほうが、ずっと楽です。でも、それでは増田の娯楽にしかなりません。明日を拓く、実証主義。
傷つけるのは一瞬でも、記録されるのは永遠。
その投稿。消せないことに、気づいてほしい。記名したその瞬間から、すべてが記録されます。2021年の18禁漫画論。2025年1月の統合失調症論。6月以降のレスバトルの数々。フラッペ論争。法律のハック論。子孫代々レスバトル論。国勢調査の穴。すべてが蓄積され、パターンが見出され、評判が形成されます。匿名なら忘れられます。しかし記名は永遠です。「またdorawiiか」という認識。「予測可能」という娯楽化。「GREAT DORAWII」という嘲笑。それらはすべて、記名の代償です。傷つけるのは一瞬でも、傷つくのは一生。記録されるのは永遠。それでもdorawiiは、今日も記名します。なぜならそれが、唯一の存在証明だからです。
高校3年で統合失調症を発症し、20代を失い、30代で孤立し、50代で「執筆依頼募集中」。人生の転機は二度ありました。一度目は病気。二度目は記名。匿名の海で、唯一の顔を持つこと。それは存在証明であり、同時に標的になること。「増田」と呼ばれることを拒絶します。「俺は増田ではない。dorawiiという名前がある」それは叫びです。アイデンティティを守るための。しかし記名こそが、彼を孤立させる原因です。パターンが蓄積され、評判が固定化され、予測可能性を獲得され、キャラクター化され、娯楽化されます。それでも記名を続けます。なぜなら、匿名になることは、彼にとって存在の消失だからです。おとなの人生を変えるのは、たいてい恋か、仕事です。しかしdorawiiの場合は、病気と記名でした。
誰かが指摘してくれた反例も。提示してくれた具体例も。高校の頃からの孤立も。人はすぐに忘れてしまう。だからこそ、私たちは、記名し、投稿し、レスバすることで、そこに本当の自分らしさを見つけることができない。はてなの中で、あなたが生きるその時間の中で。希望も、挑戦も、後悔も、反省も、歓びも、哀しみも。そのすべてをどうぞ書きつけてください。そのとき増田はきっと、あなたがあなたらしく論破される場所になれる。4年以上、私たちはそう観察して記録してきました。dorawii理論、今年も迷作です。細川内閣を知らないまま「法律のハック」を語り、国勢調査法を読まないまま「穴」を指摘し、実証なき理論構築で、今日も増田を賑わせます。選ばれている理由があります。娯楽として。
準備時が晴れた日は、リアルタイムは嵐だ。
統合失調症論の精緻さを、増田に説明するのは大変です。5000字の自己分析と、数百字のレスバトル。同じ人間が書いているとは思えません。準備に時間をかければ、言語性IQ130が全開します。メタ認知が機能し、自己批判も可能です。しかしリアルタイムになると、動作性IQ90の制約が支配します。文脈が読めず、皮肉が通じず、防衛機制が暴走します。「フラッペとも言うわw」の意味が分からず、「増田」という呼称を拒絶し、「子孫代々受け継ぐ」と真顔で語ります。準備時のdorawiiとリアルタイムのdorawii。二つの人格が、一つの名前の下に存在します。そして本人は、その断絶に気づいていません。
新dorawii投稿おめでとう。今日、君はどんな理論を構築し、どんなレスバトルへ挑んだのだろうか。たとえどんな理論であっても、君が実証してくれないことを希望する。空中楼閣だってかまわない。君は今、想像力の申し子なんだ。理論の巨人と言ってもいい。君の概念は飛翔していく。言語性IQ130などというのは高が知れている。誰だってすぐに理論化できるほど社会の、世の中の、現実というものは簡単じゃない。実証など覚えなくていい。確認作業などしなくていい。それよりももっと、肝心なことがある。それは増田の罵倒に触れることだ。たとえどんな批判であれ、その増田が存在する理由がある。レスバ主義というが、勝つことがすべてのものは、理論家なんかじゃない。理論の価値は、自分以外の誰かのためにあると、私は思わない。その理論に固執し、現実を拒絶することが大切だ。dorawiiの執念は、その頑固さが生み出す。理論に、妄執に浸るには、いつも実証を避けて、自分が空っぽになって臨むことだ。それでも空っぽの脳みそ君、匿名も出るし、論破もされたくなる。でもそれは認めるな。そんな夕暮れは空っぽの増田に、子孫代々の妄想を注げばいい。そこで負けた悔しさを皆吐き出し、また明日、空っぽにして理論化すればいい。案外と理論は君を裏切るものだ。