「自分がいま自由になったこと」に気がつかないという不幸

自由を制限されることに対して、なぜ日本人は鷹揚というか我慢強いのかと考えたときに、私が思い当たるのは戦後の日本の歩みです。もっとも戦前までさかのぼっても同じですが、日本は一度も自分たちの力で戦って自由を勝ち取ったことのない国なのです。

和田秀樹『死ぬのも楽しみ』(廣済堂出版)
和田秀樹『死ぬのも楽しみ』(廣済堂出版)

戦後の自由も、すべてアメリカから与えられた自由でした。独立や自由を求めて支配国と戦った経験はないし、自国の圧政や軍国主義と戦って自由を勝ち取った経験もありません。

つねに与えられた自由でした。

もちろんここで多くの犠牲を払っていることを忘れてはいけないでしょう。日本は自由を勝ち取れなかったけれども、多くの犠牲を払って戦争に負け、その結果、自由を手にしたと言うこともできます。

つまり、勝ち取ったのでなく負け取ったのです。

勝とうが負けようが、犠牲を払ったうえで自由を手に入れることは同じです。ですが、負け取った場合は、自由への執着や歓喜はどうしても弱くなってしまいます。

高齢者の自由も同じようなことが言えそうです。

健康でかつ経済的にも恵まれた高齢者は、ごく一部に限られます。

ましてや、トレーニングで身体を鍛え、規律正しく生きて健康を守り、なおかつ熾烈しれつなビジネスを勝ち抜いて、自分の力で財産を築いてきた高齢者なんてほとんどいるはずがありません。

高齢者の自由はそれなりに払った犠牲の代償

そういう高齢者がもしいたとしたら、ビジネスを退いて自由な暮らしを始めたときに「この暮らしは私が勝ち取ったものだ」と思えるかもしれませんが、そういう高齢者はまずいないのです。

ほとんどの高齢者は、いろんな不自由に耐えながらなんとか70代を迎え、体力も衰えてひとつふたつの病気を抱え、それでも時間だけは自由に使えるようになったというところでしょう。勝ち取ったというより、それなりに払った犠牲の代償としての自由です。

ところが、あまりに長い人生を不自由に慣らされてしまうと、自分がいま自由になったことに気がつきません。

おまけに、体力も気力も衰えているのですから、「さあ、自由になったぞ」という喜びも湧いてきません。

「あとはだんだん弱って死ぬだけだ」と思えば、せっかく手に入れた自由に何の喜びも感じないのです。

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