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24歳の時、岐阜県立岐阜高校の同級生だった妻と学生結婚をしました。私は東京大学大学院経済学研究科で学者を目指し、妻は慶応義塾大学大学院で学びながら文学座の演劇研究所で女優を志していました。仲人をにこやかに引き受けてくださったのが、ゼミで指導を受けた故・宇沢弘文教授です。 学生2人の結婚生活は経済的に大変で、会計士専門学校などで教えながら暮らしました。海外留学はしませんでしたが、多彩な恩師や仲間に囲まれ、むしろ贅沢(ぜいたく)な環境だったと思います。宇沢教授のほか、小宮隆太郎教授、浜田宏一教授、故・西部邁教授が活躍していました。宇沢ゼミやその仲間には、学習院大学教授の宮川努さん、日本銀行副総裁の雨宮正佳さんや、メディア運営企業社長の池田信夫さんなどがいて、最先端の経済学を学びました。
小寺創太個展「調教都市」が2022年3月5日(土)、トークンアートセンター(Token Art Center)で始まる。期間は4月3日(日)まで。 小寺は主体であるはずの作家(パフォーマー)の身体を展示し、空間の一部になりきる。そこに「いる」ことで、展覧会や演劇における秩序を攪拌(かくはん)させていく――。「排除アート」から着想を得た『調教都市』では、自身の身体を展示物としてオブジェクト化し、台座に関する作品制作と発表を行う吉野俊太郎と共同制作を行う。 小寺創太(撮影:藤江龍之介) 身体のオブジェクト化 小寺は自らを「ill派(いる派)」と名乗る。身体を環境に囚われた存在と捉え、表現的なパフォーマンスである「見せる」ことを不可能とし、鑑賞空間に長時間「いる」ことで身体をオブジェクト化する形式をとる。 近作『蓄光人間』では、蓄光塗料を全身に塗った小寺自身が計6時間もの間、暗い部屋と明るい部屋
北条時政・義時はどこへ逃げたか ところで、石橋山合戦に敗れた北条時政・義時はどこに逃げたのか。この点に関して『吾妻鏡』の記述は錯綜しており、不自然な点が多い。『吾妻鏡』治承四年八月二十五日条によると、北条時政は武田信義らの甲斐源氏に援軍を要請するため、甲斐国に向かった。しかし頼朝の安否が定かでない状況では援軍要請に応じないだろうと思い直し、土肥方面に引き返して頼朝の後を追った。そして同月二十七日条によると、北条時政・義時らは土肥郷の岩浦で船に乗り、安房国を目指した。両条を整合的に理解しようとすると、時政は頼朝と合流した上で頼朝の使者として甲斐に向かうつもりだったが、合流できずに義時と共に安房に渡海した、ということになる。 とはいえ、最初は西の甲斐に向かおうとして、考えを変えて東の安房に進むという時政の行動はいささか不可解である。敗走の最中で頭が混乱していたとも考えられるが、『吾妻鏡』の曲筆
20年ぶりの大回顧展! Bunkamura ザ・ミュージアムの『ミロ展 ― 日本を夢みて』でひも解くミロと日本の意外な関係 Art&Designアート展覧会 2022.02.16 写真・文:はろるど 左:ジュアン・ミロ『ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子』 1945年 福岡市美術館 右:ジュアン・ミロ『絵画(カタツムリ、女、花、星)』 1934年 国立ソフィア王妃芸術センター 後者はフランスの実業家の依頼されたタペストリーのための下絵。しかし下絵でありながら、タペストリーの原寸大のサイズと高い完成度から、1930年代のミロの代表作として知られてきた。 スペイン・カタルーニャ地方のバルセロナに生まれたジュアン・ミロ(1893〜1983年)。シュルレアリスム運動に参加しながら、シンプルな線やかたちによる有機的な形態で独自の画風を確立し、20世紀を代表する芸術家として大きく評価されてい
始皇帝、項羽と劉邦、武帝ら英雄が活躍した中国の秦漢時代において、人々はどんな私生活を送っていたのかーーどんな家に住み、何を生業として、如何にして異性との関係を築き、どのように日々の楽しみを求めていたのか? もしも現代人が古代中国にタイムスリップをして、24時間を過ごしたらどうなるかを検証した新書『古代中国の24時間』がヒット中だ。画期的な切り口で古代中国の日常を鮮やかに描き出したのは、早稲田大学文学学術院教授の柿沼陽平氏。同書を著した理由や、古代中国の恋愛事情などについて話を聞いた。(編集部) あまりにも平凡な出来事は記録に残りにくい 柿沼陽平教授 ーー『古代中国の24時間』は、まるでロールプレイングゲームや異世界転生のライトノベルのように、二千年前の中国の1日を追体験するようなユニークな「日常史」の新書です。この新鮮なアイデアはどのように生まれたのですか? 柿沼:もともと僕は実家が客商売
お笑いコンビ「マシンガンズ」の滝沢秀一さん(45)は、芸能活動のかたわら、ごみ清掃員として東京都内をまわっています。「本職」と語る、ごみ清掃の仕事を始めて10年目。しだいに「見えないものが見えるようになってきた」といいます。ごみを出す側の私たちにとって、「見えないもの」とは何なのでしょうか。また、ごみを減らすために、自身が取り組んでいる工夫についても聞きました。 ――どんなきっかけでごみ清掃の仕事を始めたのですか。 36歳の時に妻が妊娠して出産のお金が必要になりました。芸人の仕事だけではとても足りないのでアルバイトを探したんですけど、これが見つからないんです。まだお笑いをやりたい途中なのに消極的にやめるのはイヤだった。友達にたまたま紹介されたのがごみ清掃員でした。 それまで、ごみのことを真剣に考えたことなんて一回もなかったので、衝撃を受けたんですよ。何にかって言うと、ごみの量。ごみ清掃車は
photo by Atsushi Fujimoto 卓越した腕を持つアニメーターであり、2007年にNHKで放送されたテレビアニメ『電脳コイル』では原作・脚本・監督を務めた磯光雄さんの最新作が2022年1月28日から劇場上映中&Netflixで配信中の『地球外少年少女』です。 誰もが宇宙に行けるようになった2045年の日本製宇宙ステーション「あんしん」を舞台に、滞在ツアーに当選して地球から宇宙にやってきた大洋、美衣奈、博士と、地球移住のためステーションでリハビリを行っている月生まれの少年・登矢、同じく月生まれの少女・心葉、さらにステーションの医療担当スタッフである那沙らが、彗星との衝突事故が起きたステーションで、協力・対立しつつさまざまな困難に立ち向かう姿を描いています。 いわゆる「ロボットアニメ」ではないSFもので、しかも極めて珍しいオリジナル作品をどのように作り出したのか、そしてどのよ
『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で日本中世史が専門の歴史学者の呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする本企画。第3回目となる今回は、声優の木村昴さんが以仁王(もちひとおう)役で出演して話題となった昨日放送の第3話「挙兵は慎重に」について、最新の学説を参照しつつ、専門家の視点から見たみどころを解説してもらいました。 第1回:いよいよ放送開始!『鎌倉殿の13人』第1話を歴史学者はどう観たか 第2回:仲が悪いけど実は〇〇〇!?伊東祐親と工藤祐経の複雑すぎる関係 『鎌倉殿の13人』の第3話では、本作の主人公である北条義時が周到な分析によって挙兵成功の見通しを語り、源頼朝が決断する場面が活写された。当時18歳の義時が参謀的な役割を果たしたという設定にはいささか疑問も残るが、様々な情報が錯綜し頼朝や北条一族が迷い悩む展開には引き付けられた。歴史学の観点から、第3
「東京から日本を変える」。1日、死去した石原慎太郎氏の都知事としての約13年半は、初当選時に掲げたスローガン通りのものだった。強力なリーダーシップとトップダウンで施策を推し進めた。一方で、その強さの裏側に、繊細な優しさや純粋さを感じ取った関係者も少なくなかった。 石原氏のリーダーシップが端的に表れたのは平成24年4月、訪米中に突如表明した尖閣諸島(沖縄県石垣市)の購入構想だった。 「筋違いですよ。でも国はやらない。だから東京都が尖閣を守ります」 こう語った石原氏。地権者との交渉も進めたが、結果として、民主党(当時)の野田佳彦政権で同年9月に国有化された。 ある幹部職員は当時、「尖閣諸島国有化の流れになったとき、精気を失ったような表情だった。ずいぶん気を落とされていた」と振り返る。都庁内では「知事は都政にやる気を失った」という憶測が流れ、同年10月の都知事辞職のきっかけの一つになったとみる向
「すでにウクライナ国内で諜報員による攪乱(かくらん)工作やサイバー攻撃が行われています。私のところにも、『ワグナーグループ』という民間軍事会社が大人数を雇い、ウクライナへ送り込んでいるという情報が入ってきました。ロシア軍が攻め込むきっかけを作るのが目的。いつでも侵攻できるよう準備をしているのです」(元傭兵で軍事評論家の高部正樹氏) 【画像】プーチンのヤバすぎる「隠し宮殿」 ロシア軍のウクライナ侵攻がいよいよ始まろうとしている。ロシア政治に詳しい筑波大学の中村逸郎教授が話す。 「交渉がまとまる可能性は1%。プーチン大統領(69)は欧米諸国にNATO(北大西洋条約機構)の東方不拡大、NATOによる東欧での軍事活動停止などを求めてきました。個々で交渉する気はなく、すべてを含んだパッケージでの要求です。欧米諸国が受け入れるはずがない。ロシアは強硬手段に出るでしょう」 プーチン大統領はモスクワでどん
「後遺症患者は感染者と違って支援が不十分。療養が終わればそこから先は自己責任なのでしょうか…」。新型コロナウイルスの感染症の後遺症に悩まされる患者からの投稿が「追う! マイ・カナガワ」取材班に寄せられた。感染拡大の波が繰り返されるとともに後遺症患者も増加する中、急拡大する新たな変異株「オミクロン株」が追い打ちをかけかねない。後遺症に苦しむ患者と、対応を模索する現場を追った。 食欲不振、不眠や倦怠(けんたい)感、息苦しさ…。感染から時間が経っても症状が続いているという。横浜市内の病院で後遺症治療を受けているという投稿者は「後遺症の治療にお金がかかって大変」と訴えた。 後遺症の治療を受けても回復する見込みは少なく、治療費がかさんでいったという。入院中や療養中のコロナ患者の医療費は全額公費でまかなわれるが、後遺症の治療は一般の診療と同じく自己負担が生じる。「コロナ後遺症を認めてもらい国からの治療
北条 義時(ほうじょう よしとき、長寛元年(1163年) - 元仁元年(1224年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。鎌倉幕府の第2代執権。伊豆国の在地豪族・北条時政の次男。北条政子の弟。得宗家2代当主。 建保7年(1219年)に鎌倉幕府の源氏将軍が断絶した後、幕府の実質的な指導者となる。幕府と朝廷の対立が激化し、後鳥羽上皇より義時追討の宣旨が全国に発布されると朝敵となるが、幕府軍は京都に攻め上り朝廷を制圧。後鳥羽を含む3人の上皇(太上天皇)を配流し、践祚していた後鳥羽の孫の懐成親王(九条廃帝。明治時代に仲恭天皇と諡)を廃した(承久の乱)。 元服後に仮名として「北条小四郎」と称した[6]。「四郎」は『吾妻鏡』にある父北条時政の仮名と同じである[6][7]。江間(現在の伊豆の国市)に移住した後は「江間四郎」と称し、『吾妻鏡』では任官前の3分の2は「江間殿」などの「江間」の名字
北条 義時(ほうじょう よしとき、長寛元年(1163年) - 元仁元年(1224年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。鎌倉幕府の第2代執権。伊豆国の在地豪族・北条時政の次男。北条政子の弟。得宗家2代当主。 建保7年(1219年)に鎌倉幕府の源氏将軍が断絶した後、幕府の実質的な指導者となる。幕府と朝廷の対立が激化し、後鳥羽上皇より義時追討の宣旨が全国に発布されると朝敵となるが、幕府軍は京都に攻め上り朝廷を制圧。後鳥羽を含む3人の上皇(太上天皇)を配流し、践祚していた後鳥羽の孫の懐成親王(九条廃帝。明治時代に仲恭天皇と諡)を廃した(承久の乱)。 元服後に仮名として「北条小四郎」と称した[6]。「四郎」は『吾妻鏡』にある父北条時政の仮名と同じである[6][7]。江間(現在の伊豆の国市)に移住した後は「江間四郎」と称し、『吾妻鏡』では任官前の3分の2は「江間殿」などの「江間」の名字
年末年始で実家に帰った。昭和に造成された、直方体のコンクリートの集合住宅が集まったニュータウン。開発から何十年経っても、名前はニュータウンのままだ。 近所に観光名所や郷土料理があるわけでもない。何の変哲もない、全国にごまんとある街。サラリーマンが専業主婦の妻や子供達と暮らすためにローンを組んで買った、団地に限りなく近いマンション群。富裕層もいなければ貧困層もおらず、子供の頃の駐車場には白い地味な国産車がずらりと並んでいた。 一億総中流を体現したようなこの街の閉塞感が嫌で、中学生の頃には東京に出ることだけを考えていた。ブラウン管の中の東京は輝いていて、刺激的だった。くだらない校則を押し付けてくる教師に反発して学校の授業をサボっても、この街を抜け出すための最速のチケットを得るため、放課後の塾には熱が出ても自転車を漕いで通った。 あれから何年が経っただろう。 駅に降りると、寒々しさが身に染みる。
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